野崎弁当です。

今日は1994年に発売されたスーパーファミコンソフトである『LIVE A LIVE』の話をします。

 

 

 

 

↑私物です。年季が入り過ぎて薄汚れています。

 

 

 

 

 

 

 

↑攻略本も大事に持ち続けています。

 

 

 

 

さてこのゲームですが、この時代のRPGに造詣が深い方なら最早説明不要なくらい有名なゲームなのですが、その反面、一般的な知名度は極めて低い作品だったりします。

 

ファイナルファンタジーシリーズでお馴染みのスクウェアから発売されたRPGなのですが、発売時期のせいもあってか、化け物級に売れた他の大作RPGの影に隠れてしまった感があります。そう言った意味では、一つ前に記事を書いた『熱血大陸バーニングヒーローズ』にも通ずるものもありますね。

 

しかし、印象に残る秀逸なシナリオや名台詞、独創的かつ面白いシステム、素晴らしく良曲揃いのBGM、キャラクターデザインを手がけた方々の豪華さなど、影に隠れたままではあまりにも勿体無いゲームとなっており、コアなファンの多いゲームとなっています(かく言う僕もその一人です)。

 

 

 

 

さて、そんな『LIVE A LIVE』ですが、いったいどんなゲームなのかというと……、

 

 

 

 

一言で言えば、「オムニバスRPGの超傑作」だと思います。

 

 

 

 

 

 

このゲームでは、それぞれ主人公が違う7つのストーリーを、好きな順に選んでプレイしていくことになります。

 

そのストーリーの主人公ですが、なんと7人それぞれ全く違う漫画家さんがキャラクターデザインを手がけています。それもそのはず、実はこのゲーム、スクウェアと小学館のコラボ作品なのです。制作段階からかなり異色のゲームですね。

 

例えば、忍者おぼろ丸が主人公の幕末編は『名探偵コナン』でお馴染み青山剛昌さん、ロボットのキューブが主人公のSF編は『BASARA』『7SEEDS』『ミステリと言う勿れ』でお馴染み田村由美さんなど、とても豪華な顔ぶれです。

 

 

 

そして、その7つのストーリーですが、「原始編」「近未来編」「SF編」「幕末編」「西部編」「現代編」「功夫編」という、時代も舞台も何もかもが違う7つのストーリーとなっています。

 

主人公が選べるオムニバスRPGというと『オクトパストラベラー』や『サガフロンティア』などがありますが、これらのゲームは、主人公は違っても舞台となる場所は同じ場所です。

 

しかしこの『LIVE A LIVE』はとにかく何もかも全く違います。雑魚戦の戦闘曲ですらそれぞれ違います。

 

システム面でもそれぞれ個性があり、例えば「現代編」はなんとRPG的な探索が一切無い、戦闘のみで構成された格闘ストーリーであるのに対し、「SF編」はほぼ戦闘が無く9割方探索パートでストーリーが進んでいきます。

 

他にもそのストーリー中だけでしか適用されないシステムも多く、遊んでいてもマンネリを感じることがありません。

 

 

 

そして7つのストーリーをクリアすると現れる「中世編」をクリアし、さらにその先にある「最終編」までたどり着くと……。

 

 

 

詳しくは言えませんが、それぞれのストーリーの主人公たちが交差する激熱展開へと発展していきます。

 

特にこの中世編から最終編にかけてのストーリーは非常に印象深いもので、1994年のゲームながら今に至るまで何年も語り継がれ、最早伝説級のストーリー展開となっていますね。

 

 

 

 

 

そんな『LIVE A LIVE』ですが、遂に2022年7月22日、Nintendo Switchにてリメイクされました! 本当に嬉しく思っています。

 

 

RPG愛好家の中で語り草にまでなったこのゲームですが、短編ストーリーをテンポ良く遊んでいけるというこのゲームの形式は、もしかしたら今の時代にこそ適しているのかもしれません。

 

令和の時代に復活した『LIVE A LIVE』。是非多くの方に興味を持って頂ければ良いなと思っています。

 

 

 

では、僕もプレイしてきますね。

 

 

 

 



こんにちは。野崎弁当です。

 

今回は1995年にスーパーファミコンにて発売されたRPG『熱血大陸バーニングヒーローズ』の話をします。

 

 

 

 

 

 

 

このゲームは、1995年にドラゴンクエストなどのゲームで有名なエニックスから発売されました。

 

 

「エニックスといえばドラゴンクエスト」という代名詞的存在があるため、その陰に隠れていた感のあるこのゲーム。ですが、その中身はなかなか画期的で、語るところの多いゲームでもあります。

 

 

このゲームの大きな特徴は、「8人の主人公のうちから一人を選んでプレイする」システムであること、そして、それぞれのストーリーを進めていくと「8人の独立したストーリーが実は様々な部分で絡み合っている」という事実が判明していくことが挙げられます。

 

 

このような群像劇的なシステムのRPGとしては、古くは『ドラゴンクエストIV』や『ファイナルファンタジーVI』、『ロマンシング・サガ』などのサガシリーズや、アクションRPGの『聖剣伝説3』、もうすぐリメイク作が発売となる『LIVEALIVE』、さらに近年では『オクトパストラベラー』など、多くの作品があります。RPGに拘らなければ、僕の大好きなゲームである『十三機兵防衛圏』も群像劇ですね。

 

 

 

さて、ここからはそんな数ある群像劇的システムのゲームの中で、なぜこの作品が異彩を放っているのかを触れていきたいと思います。

 

 

 

この熱血大陸バーニングヒーローズ、最初に選べる主人公は4人だけとなっています。

 

例えば主人公選択画面で一番上にいる、いかにも主人公的雰囲気のグラフィックである「リュウ」を選択してストーリーを始めてみたとしましょう。

 

リュウのストーリーはRPGの王道ストーリーに近いものとなっており、タイトルに熱血とあるように、とても熱さのある展開のストーリーとなっております。

 

そんなリュウのストーリーの中では、リュウを理不尽に何度も邪魔してくる厄介な敵キャラクターが出てきます。リュウは何度もその人物を倒したのち、ラスボスと相対し、ストーリークリアとなります。

 

 

そして、リュウのストーリーが終わりエンディングを迎えた後、主人公選択画面に戻ると、なんとその「何度も邪魔してきた敵キャラクター」が主人公として選べ、今度はこの敵の視点から、逆にリュウを撃破するストーリーを遊べるというシステムになっているのです。

 

 

 

そして、この裏ストーリーを遊ぶことで「敵には敵の事情があって主人公に対立していた」ということが明るみになっていきます。

 

つまり、リュウのストーリーしかプレイしていないと「主人公のリュウが悪を倒していく」だけの勧善懲悪なストーリーでは終わってしまい、敵対キャラクターについても「ただの理不尽な邪魔者」で終わってしまうのですが、その敵対する人物を主人公としてプレイすることで、「決してただの理不尽な邪魔者ではなかった」ことや、「このキャラクターもちゃんとした事情を抱えながらリュウに立ち向かい、そして守るべきものを守っていこうとしている」ということがわかり、新たな視点でストーリーを楽しむことができるのです。

 

 

このように、一人の主人公をクリアするごとに、そのストーリーで敵対していたり関わりのあった人物が新たな主人公として追加されていき、最終的に選べる主人公が8人まで増えていくというシステムになっています。

 

 

群像劇的RPGは様々ありますが、このシステムはなかなかこの時期のRPGでは見当たらなかったものではないかと思います。

 

 

 

 

さらにこのゲームの大きな特徴として、ラスボスが共通ということが挙げられます。

 

これが何を意味するのかというと、リュウも敵対キャラクターも最終的に倒すべきラスボスは同じであるのにそれぞれの事情やそれぞれの正義から対立して刃を交わしてしまうということ、つまり、目的が同じなのに決して手を取り合えないという悲しさが内包されているのです。

 

 

例えば、前述したFFVIや聖剣伝説3などのゲームは、最終的には主人公たちみんなで手を取り合ってゲームをクリアしていきます。

 

ですがこのゲームはそうではなく、あくまでもそれぞれのストーリーが独立したパラレルワールド的ストーリーとなっており、主人公全員で手を取り合ってラスボスを倒そうという展開になることはありません。それどころか選ぶキャラクターによっては、違うストーリーでは主人公だった人物がこのストーリーではあっさり死ぬということも起こります。

 

ほんの少しのボタンの掛け違いで、主人公だった人物が主人公ではなくなり敵として散っていく。そんな「戦いの非情さ」が内包されているゲームと言えるでしょう。

 

そういう意味では、『ファイアーエムブレム 風花雪月』のような作品にも近いかもしれません。

 

 

 

 

 

NPCのAIに難があったりするなど、もどかしい部分もあるゲームでしたが、「主人公の敵もまた主人公である」という、この時代のゲームとしてはかなり面白いテーマを持った作品でした。

 

現実とは違う単純な勧善懲悪ストーリーに辟易している方には、非常に遊び甲斐のある作品だったように思います。

 

 

 

こんにちは。野崎弁当です。

 

本日は、1995年にプレイステーションにて発売されたシミュレーションRPG『アークザラッド』の話をします。

 

 

 

 

 

 

 

舞台は精霊の加護を受ける大地。主人公や仲間たちを取り巻く陰謀に抗うため、剣や魔法を駆使して魔物を倒しながら運命を切り開いていくという王道ファンタジーRPG。

 

ドラゴンクエストシリーズやファイナルファンタジーシリーズのように社会現象を起こすほどの化け物ゲームではなかったのですが、僕と同じ世代のRPGフリークにとっては言わずと知れた名作ゲームですね。

 

 

キャッチコピーは「光と音のRPG」。発売当時からこのキャッチコピーが前面に出されており、このゲームの代名詞的に多用されていた記憶があります。

 

ではいったいどういった点で「光と音のRPG」なのかということなのですが、もちろん単純にグラフィックやBGMの質が高いということも所以の一つ。ですがなんと言ってもこのゲーム、今でこそ当たり前となった「美麗なエフェクトやムービー」「キャラクターが喋るボイス」をいち早く導入した、先駆け的作品なんですよね。

 

アークザラッドはプレイステーションが発売されて間もなくリリースされたRPGですが、プレイステーションというハードが持っているその力をエフェクトやムービーの視覚効果、サウンドやボイスの聴覚効果に最大限に活かし、今までのファミコンやスーパーファミコンではできなかった演出をたっぷりと実現させました。

 

 

 

 

もちろん、今のゲームに慣れた人がプレイすればチープに感じる部分もあるでしょう。しかし当時は本当に視聴覚面で画期的な作品で、まさしく「光と音のRPG」という代名詞がふさわしいゲームでした。現代のRPGのルーツを辿っていくと必ず通る作品とも言えるのではないでしょうか。

 

 

そしてストーリーは、「これを王道と言わなかったら何を王道というのだ」と感じるくらいの王道ファンタジー。展開は結構大味なところもあり、またNPCとの会話などもほとんど無いため、とにかくサクサクと話が進んでいきます。

テキスト量がめちゃくちゃ多い現代のゲームと比べるとそのシンプルさに驚きますが、逆に言えば、これだけテキスト量が少なくてもストーリーが伝わり、楽しいゲームを作ることができるのだという証明にもなりますね。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、

 

 

 

 

 

 

 

なんとこのゲーム、ストーリーが盛り上がりに盛り上がり、「おお、ここからもっと面白くなりそうだぞ!」というところで、なんと終了します。

 

 

 

 

 

 

 

 

( ゚д゚)

 

 

 

 

 

 

 

もう一度言います。一番盛り上がったところで終了します。

 

 

 

 

 

実はこの『アークザラッド』、1年後に発売された続編『アークザラッドII』という超名作のプロローグ的作品なのです。

そういう訳で、プロローグなので伏線も全ては回収していません。真相や結末は次回作に持ち越しとなってしまいます。

 

 

もちろんストーリー的な続編のあるゲームは珍しくなく、僕の好きなアトラスさんのゲーム『アバタールチューナー』シリーズでも、そのエンディングでは明確に続編が示唆されており、1と2を遊び終えて初めて全ての真相が判明して完結するという、いわゆる前編・後編の前編にあたるゲームになっています。

 

ただ、その『アバタールチューナー』は前編とはいえ1本のゲームとしてボリュームもあり、ラスボスも歯ごたえがあったのですが、アークザラッドに関しては前編というよりもプロローグ的側面がめちゃくちゃ強く、ストーリー自体がそもそもかなり短いうえに、もうひと山かふた山か展開がありそうなところで唐突に終了してしまいます。

 

また、普通にプレイしているだけでもラスボスが瞬殺できるくらい弱くRPG史上最も弱いラスボスとの声も出るほど。実際僕も、ラスボスをあっさり倒した後にエンディングのスタッフロールが流れるのを見て、「あ、さっきのラスボスだったの!?」とそこで後から気づくという意表を突かれる展開に襲われました。

 

 

 

ということで、本当に「これから!」というところで「to be continued……」の文字と共に終了してしまうアークザラッドなのですが、それでもこのゲームが名作と思えるのは、前述したように現代RPGの礎となった要素が多く詰め込まれていた、画期的な「光と音のRPG」であったということ。そして、満を持して発売された続編である『アークザラッドII』

素晴らしい超名作であったからでしょう。

ストーリー面では前作の謎や伏線も回収しながら、さらに細やかに且つ壮大になっていく物語を存分に楽しむことが出来ます。システム面でも非常に遊びごたえがある作りになっており、また前作で操作性の悪かったような部分もかなり改善されています。

 

実はこの続編の『アークザラッドII』も当時のゲームらしく、なかなかヤバいバグや設定ミスなどがあったりはするのですが、そんなことはもう気にならないほど、王道ファンタジーのRPGとして素晴らしい完成度のゲームであり、遊んでよかったと思えるゲームでした。

 

 

プレイステーション発売当初に現れた「物語のプロローグを1本のゲームとして発売する」という字面にするとかなり挑戦的なことをやってのけたこのゲームですが、それと同時に、独創的で画期的な試みによりRPGの可能性を示し、RPGを様々な方向に大きく発展させたとも言える、ゲーム史において非常に語りどころのある唯一無二の超名作シリーズなのでした。

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。野崎弁当です。

 

今回は1990年にファミコンで発売された『探偵 神宮寺三郎 時の過ぎゆくままに…』の思い出話をします。

 

 

 

 

 

 

 

(↑こちらはゲーム燦爛チャンネル暁さんの動画です)

 

 

 

このゲームはコマンド選択式のアドベンチャーゲームで、主人公が探偵役となって事件解決を目指す、いわゆる推理ミステリーものです。

 

ちなみにこの神宮寺三郎シリーズはこのゲームで4作目。ハードボイルドミステリーの人気シリーズとして、その後も現在までたくさんの作品が発売されています。

 

 

 

(僕が所有する実物です)

 

 

 

 

さて、早速ですがこのゲームには大きな特徴があります。それは、

 

 

 

 

 

 

 

誰も殺されない

 

 

 

 

 

 

ということです。

 

 

コマンド選択式のアドベンチャーゲームで、且つジャンルがハードボイルド推理ミステリーの探偵ものとくれば、絶対に殺人事件が起こるのが定石です。

 

 

しかしこのゲームはそれが起きません

 

 

それどころか、殺人未遂事件すら起きません。主人公である探偵・神宮寺三郎に解決を頼まれる事件は、殺人事件でも傷害事件でも誘拐でもなく、窃盗です

 

 

 

 

こうやって文字にすると、「そんな事件をゲームにして面白いのかな……?」と思うかもしれませんが、これがまためちゃくちゃ面白いです。最初はただの窃盗事件から始まるのですが、それがだんだんと複雑な謎を纏っていく過程も面白いですし、そこから事件解決に至るまでの展開も他の推理ミステリーアドベンチャーとは一線を画しており、とにかくストーリーとその構成がめちゃくちゃ面白いです。

 

 

こういった探偵もののストーリーの要というと、多くは「アリバイ崩し」「密室トリック」など、どちらかというと技巧的な面が前面に押し出されることが多いと思います。

 

しかしこのゲームのストーリーはそういったテクニカルな部分というよりも、登場人物それぞれの複雑な心情や、その心情が絡み合って形成された人間関係といった、情緒的な部分がそのまま事件の謎に直結しています。

この事件では主に一つの家族に焦点を当てて進行していくのですが、誰かが家族のために嘘をつき、誰かが家族のために真実を言う。そこにあるのは事件というよりも繊細な家族ドラマ、人間ドラマです。ただ技巧的な謎を解くだけのゲームではなく、人間模様から生まれた謎を攻略しなければならないという、良い意味でなんとも渋いテーマのゲームなのです。

 

 

 

 

そして、もう一つ特徴として挙げられるのは、このゲームは現在進行形の事件を解決していくのではなく、過去の事件の回想を語るという形で進行していく点です。

 

 

(先程の箱の裏側です)

 

 

説明書きにあるように「一年前のある事件」を回想していくという形でゲームは進んでいきます。

この「回想を語る」という構成によって、シナリオの理解しやすさと深みが同時に増しており、素晴らしい構成だなと感じています。

また、回想の出来事なので、ゲーム画面の8割方はセピア色で進行していくという大胆な演出手法をとっています。しかし、それがゲームの雰囲気に合っており、味わい深くて非常に良いです。また、BGMも良質で、耳でも楽しめる作品です。

 

 

事件自体は確かに派手さの無い地味な事件なのですが、その分「人間」というものにぐっとフォーカスが当てられているためドラマとして本当に面白く、それでいて、後半にとある謎と謎が結びついたことで怒涛のように事件の全容が見えていく瞬間は、「謎は全て解けた……!」と金田一少年ばりに叫んでしまいたくなるほどで、事件は地味でもミステリーとして申し分ない構成となっています。

 

 

 

 

令和となった今、「人を傷つけない」という表現方法が重要視されていますが、このゲームは1990年のゲームではありますが、令和の今こそスポットライトが当たるべきゲームなのかもしれません。

 

誰も殺されず、誰も傷つかない。でもそこには深い謎があり、しっかりと「事件」が描かれている。そんな最高に面白い推理ミステリーアドベンチャーゲーム。是非このドラマを、令和に生きる皆様に体験してほしいなと思います。

こんばんは。野崎弁当です。

 

今日は1994年にスーパーファミコンにて発売された『真・女神転生if…』についてお話しします。

 

 

 

 

(※画像はNintendo Switch Online版です)

 

 

このゲームは、以前ブログで取り上げた『真・女神転生』

シリーズ作品なのですが、舞台こそ同じ東京ながら、設定は『真・女神転生』のパラレルワールドということになります。

 

『真・女神転生』とその続編の『真・女神転生II』は、主人公は違えどその舞台は同じ時間軸であり地続きです。

ですが、この『真・女神転生if…』は「もしも、真・女神転生の世界で、あの事件が起こらなかったら……」という、もしものパラレルワールドを描いた作品です。

なので「if…」な訳ですね。

 

 

とはいえ舞台設定がそうであるだけでストーリー的には過去2作品とは大きくリンクしていないので、過去2作品をプレイしていなくても楽しめる作品となっています。

 

 

 

 

 

さて、この真・女神転生if…は過去の作品と同じように悪魔と交渉したり悪魔同士を合体させたりして、悪魔を使役しながら戦っていきます。

しかし、旧作とは違うこのゲームの大きな特徴が、「学園物」であること、「異世界転移もの」であること、そして「ガーディアンシステム」があることです。

 

 

主人公は高校生。学校の教室でクラスメートと会話するところから物語は始まります。

 

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

不安を煽る音楽と共に、学校ごと異世界に転移してしまいます。

 

 

 

 

 

 

そんな中で主人公は、「学校のみんなを助けたい」「とにかく自分だけでも助かりたい」など、それぞれ目的の違う4人のパートナー候補(一人は隠しキャラ)から1人を選び、状況の打破を目指して共に学校と異世界である魔界を行き来していくことになります。

選ぶパートナーによってストーリー展開やエンディングも変わってきます。

 

そして、主人公たちが行き来する魔界は、「傲慢界」「飽食界」「怠惰界」「憤怒界」「嫉妬界」「貪欲界」と七つの大罪をモチーフにした魔界。それぞれの魔界の特徴やギミックも各々の七つの大罪とリンクしていて面白いです(ちなみに七つの大罪の一つ「色欲」が無いのも、ストーリーと照らし合わせると色々考察しがいがあります)。

 

今でこそ異世界転移ものや異世界転生ものは流行りのジャンルになっていますし、七つの大罪を取り入れた作品もたくさんありますが、1994年当時にこれらの設定で1本の傑作RPGを作り上げたと考えるとすごいですよね。先見の明……!

 

 

 

そして、このゲームの大きな特徴である「学園物」「ガーディアンシステム」ですが、これらの要素は人気シリーズとなったペルソナシリーズに引き継がれています。つまりこの真・女神転生if……がペルソナシリーズの原点と言っても過言ではないということですね。

 

学園物という点に関してはその名の通りでほぼ説明不要ですが、女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罪、ペルソナ3、4、5……と各シリーズでこの舞台設定が生かされています(ペルソナ2罪の続編であるペルソナ2罰のみ、とあるストーリー上のコンセプトによって主人公パーティーが社会人となっています)。どの作品も、少年少女の冒険と成長を描き、ジュブナイル的要素が強いですね。

 

そしてガーディアンシステム。これは、主人公とパートナーに特定の悪魔がまるで守護霊かのように憑りつくことでステータスが増減するというシステムなのですが、これも特定の悪魔(内なる人格を具現化したもの)を自分に降ろすかのように行使して共に戦うペルソナのシステムと似たものであり、ペルソナの基本システムはこのガーディアンシステムを昇華させて出来上がったものだと考えられますね。

 

 

 

 

ということで、人気シリーズの原点であり、かつ今の時代でも遜色ない設定の傑作が、この『真・女神転生if…』なのですが、

 

 

 

 

 

 

 

このゲーム、

 

 

 

 

 

 

 

 

めっちゃムズイ。

 

 

 

 

 

 

 

どのパートナーのルートを選んでも難しいのですが、特に難しいのは隠しキャラのアキラルート。他のパートナーで一度エンディングを迎えているか最終ボス手前まで行っていないと出てこないルートなのですが、このルートがめちゃくちゃ難しくて、攻略本や攻略サイト無しでクリアすることなんて本当に出来んのか?というくらい難しい。

 

 

 

↑最難関ルートのパートナーであるアキラ。マジもんの不良です。

 

 

 

他の3人のパートナーとは比べ物にならないくらいルートが難しいので、一度クリアしたとしても是非2週目としてこのアキラルートを楽しんでもらいたいと思います。楽しめるかどうかは自分の精神力によるかもしれませんが。

 

 

 

 

また、前述したガーディアンシステムを使いこなすのがなかなか難しく、それもこのゲームの難易度に一役買っています。

 

主人公とパートナーにはそれぞれ守護霊のようなガーディアンが憑りつくことでステータスが強化されたりするのですが、

 

ガーディアンが憑りつく条件は、なんと死ぬこと

 

 

つまり、主人公とパートナーの強化をするためにはあえて敵にやられなければいけないということになり、しかもどのタイミングで死ぬかによってつくガーディアンが変わってくるので、ちょうどいいタイミングを狙って敵に倒されなければならないというなかなか難解な調整を強いられることがあります。

 

しかも、頻繁に死んでしまうとどんどん憑りつくガーディアンのランクが低くなっていくため、ガーディアンが憑りつくことで逆にステータスが弱くなってしまうという現象も起こります。

 

僕が初めてこのゲームをプレイした時はこのシステムを理解するまでにかなり時間がかかりましたね。

 

 

 

 

そしてストーリー面ですが、このゲームはストーリーの全容を把握することもまた難しく、1ルートクリアしただけだと中々ストーリーの全体像が見えてこないという特徴があります。

 

みんなを助けたいというユミルート、とにかく脱出したいというチャーリールートでは、それぞれの目的のため奔走することになりますが、エンディングを迎えても、なぜラスボスが学校を魔界に移したかという動機や背景までは多く語られません。

 

アキラルートでは、ラスボスがどのように力をつけてきたのかその過程を知ることができますが、裏ルート的なコースなのでクリアすること自体が非常に難しい。

 

レイコルートはいわゆる真エンディングに一番近いもので、このルートを最後まで進めればラスボスの動機や背景が明らかになります。ただし……

 

 

 

 

 

 

といった感じでしょうか。

 

時間があれば、全パートナーでクリアするとよりこのゲームを楽しめるかもしれませんね。

 

 

 

 

さて、そんな『真・女神転生if……』ですが、学園物ながらその世界設定やストーリー、そしてエンディングは、他の女神転生シリーズと同じようにかなりダークな雰囲気となっています。

ルートによってはエンディングがもう全然救われないバッドエンディングのような終わり方をするので、非常にもやもやした気持ちのままゲームを終えてしまうことも。

 

 

ですが、傑作であることは間違いないこのゲーム。システム的にもストーリー的にも難易度が高いゲームではありますが、また学校と魔界を行き来していきたいですね。