身の丈で生きることを貫いた人 | 水のように流れていこう〜川野雅美の冒険ブログ

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四柱推命と香りを使った起業サポートと日々の冒険を生業としています


となりの雅美さんこと
川野雅美です〜



今日の話は、2月に他界した父をふと想い
生きている時は深掘らなかったことを
考えてみたら、出てきたテーマでした


今日は家族のこと

お時間ありましたらお立ち寄りください^^



身の丈で生きた父の人生



戦争で父親を亡くした後、東京からもどり
母親が苦労して建てた小さな家で暮らし

家具屋の小僧として就職してから
すぐに自立。塗装技術を学び
1人で塗装業をはじめた父


住宅地のその工場はわたしの生家

そして、遠慮がちな煙突をつけた小さな工場


父はいつも
「近所から苦情がこないように。」
心配していました



素の状態で来る品物を母親がサンダーで磨き
滑らかにし
それを父がスプレーガンで魔法のように
吹き付けしていく

それをジャングルジムのような乾燥台に
網ごとのせて乾かす

日々繰り返す
母親と二人三脚の毎日でした


学校から帰ると、後ろ姿で作業中の父親を横目に
木の粉でもくもく眉毛まで白くなってる母親の姿を
ひと目見に工場の2階へ^^


木製のハンガー
レンタルビデオショップの木の棚
姿見の木枠
インテリアの額縁
変わった形のインテリア小物
部屋のドア枠など


小さな仕事をたくさんもらって、日々
こなす毎日


宣伝は一切しないから
子供心に、看板を出して商売をしている家や、
「〇〇工場」みたいに印字された宣伝車を
使っている他所みたいにうちは何で
しないんだろう?と、いつも思っていた


職業技能のコンテスト?でいただいた
賞状なども飾ってあったから、ウデはいい
もっと宣伝したら、大きな仕事がいっぱい来て
儲かるのになぁといつも感じたりしていた


実際に、父のセンスはとても良くて
わたしの夏休みの宿題の木工作品は、
内緒でやってもらったことが簡単にばれる位な
作品になったりした



時代が流れ
小さなレンタルビデオショップはつぶれ
木製製品からプラスチックやスチール製品へ
インテリア製品は輸入の安いものが主流になり
住宅も輸入材が入るようになっていき

今まで通りの仕事はなくなり
工場に入る日もだんだん少なくなっていった



いつも貧乏相談をしていた両親を見て

とにかく、家を出て住む場所があって、
資格も取れる看護師になろうと安定を優先に、
そして親の負担を減らそうと思っての選択をして
新潟を出たのでした


身の丈で冒険せず、生活のために
日々働き3人の子供を育ててくれた父

一人親方で、人と会えば何かしら喧嘩して
愚痴るのは母、唯一の楽しみは酒
(これがまた寿命を縮めた原因)

酒飲み・暴言の数々で母も病気になり
子供のわたし達も酒を相当憎んだけど、、
(でもオチは3人とも酒飲みになったw)

今は父には酒があってくれて良かったな
と思います



身の丈に生きる
という言葉が好き。

ネガティブな印象もあるように思いますが

わたしは地に足つけ、自分や家族を
大切にする自分をよく理解した生き方だと
感じます


父が身の丈を大切にしてくれたおかげで
わたし達は今幸せに暮らしている


小さな工場に看板をかける

今そんなメッセージが強くやってきていて
きっとそれは、父が強く願ったことだったの
かもしれません

主人を亡くしたままの工場の
遠慮げな煙突からは、もう煙はでない



数年後、【廃墟工場カフェ】でもやろうか笑
と三兄弟で話しています(^^)

その時には看板をでっかく出して。
カフェなのに【〇〇塗装所】っての
気を衒って、よいかも?


面白いの大好きな人でもあったので
天からみていて
きっと喜びそうだ^^



《読んでくださりありがとう》