令和元年5月9日
令和初めての旅行車
色々迷いましたが『伊勢神宮』に決定!!

外宮別宮の月夜見宮に続いて
倭姫宮(やまとひめのみや)、
月読宮(つきよみのみや)

両社とも伊勢神宮内宮の宮域外別宮です。

本当は内宮に行ってから行くべきなのかも知れませんが、行程の都合上先に行きました。

倭姫宮

倭姫宮の周りには伊勢の神宮の文化施設がたくさんあるようですが、今回は倭姫宮だけの訪問になりましたキョロキョロ

倭姫宮は内宮の別宮で、天照大神の御杖代(みつえしろ)となっていて、皇大神宮ご創建に功績のあった倭姫命(やまとひめのみこと)をおまつりしている。

倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女で、約二千年前 天照大神の御神教(みおしえ)を受けて、五十鈴川のほとり 現在の場所に皇大神宮を創建された。
神宮のお祭りと経営の規模を確立されたそうです。
その後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わし、皇大神宮に奉仕させられました。
このお方を斎王(斎宮または斎内親王:いつきのひめみこ)と言うそうです。

黒田清子さんがやっていることがそうなのかな?と思って調べてみました。
2017年現在の祭主は黒田清子である。戦後は皇族出身の女性が就任していることから斎宮と混同されることもあるが、斎宮は神宮に仕えた未婚の皇族女性のことで南北朝時代に廃絶した。』
祭主とは伊勢神宮にのみおかれるもので、『伊勢神宮祈年祭・両月次祭神嘗祭の4度の大祭に、奉幣使として参向し、祝詞を奏上して、天皇の意思を祭神に伝えることを主たる役目とする。国家機関当時は、式年遷宮に際しては、造神宮使奉遷使を務めた。』(『』内引用です)

令和の世になってどうなるのかな?

初代神武天皇以来、天照大神は皇居内でお祭りされていましたが、
第10代崇神天皇の御代から皇居外にお祭りすることになり、倭姫命が永遠に安定した神事を続けることができる伊勢国に入られた…と
なんとも気が遠くなるような歴史の伊勢神宮!!

しかし、倭姫宮は由緒の新しい大正時代の創建だそうです。それまで倭姫命をお祭りするお宮はなかったとのこと。

参道です

階段を上がった先に

手水舎


御本殿


歴史により深く触れた気がします照れ

頂いた御朱印
後で内宮に行くために一頁開けて書いて頂きました。


続いて
月読宮

外宮の月夜見宮と読み方が同じ!?
月読宮・月読荒御魂宮とは同神だそうです。

この月読宮の境内には 月読宮をはじめとする内宮の別宮が四宮ご鎮座しています。
月読宮には天照大神の弟神:月読尊
伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮には
天照大神と月読尊の父母神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)をそれぞれお祭りしているそうです。

入り口

鳥居

手水舎


参拝の順序があるようです。

月読宮

月読荒御魂宮
神社前の敷地の関係で全景が撮れませんでしたタラー

伊佐奈岐宮(いざなぎのみや)

伊佐奈弥宮(いざなみのみや)


敷地面積の関係で四社殿一緒に📷を撮るのは難しかったですショボーン

葭原神社(あしはらじんじゃ)
内宮の末社で、五穀豊穣の神

頂いた御朱印

次は内宮です🚙