昼休みのオフィス。
パソコンの画面を閉じると、窓から差し込む光が書類を淡く照らしていた。

義勇が去ってから、会議や調整の仕事は確かに増えた。
けれど、無一郎が横で支えてくれるおかげで、大きな混乱はない。
気づけば、日常はまた少しずつ形を取り戻していた。

それでも――家で見せる実弥の顔が脳裏をよぎる。
疲れを隠して笑う横顔。
私は「もっと支えなきゃ」と思いながら、再び画面を開いた。

***

一方その頃、
実弥は書類の山を片づけながら、大きく息を吐いていた。

背中に同僚の軽口が飛んでくる。
「不死川さんの奥さん幸せっすよね。
いい旦那じゃないですか」

「……ああ」

口元に笑みをつくりながら返す。
だが心の奥では、その言葉が小さく疼いた。

――本当にそうか?
俺は、ちゃんとできてんのか。

定時を過ぎて会社を出ると、駅前は仕事帰りの人々で混み合っていた。
肩にかかる重さを振り払うように歩いていると、不意に聞き慣れた声がした。

「……あれ、不死川くん?」

振り向けば、懐かしい顔。
昔の知り合いの女性がそこに立っていた。
驚きと懐かしさの入り混じる笑顔。

「久しぶり。変わってないね。元気にしてた?」

実弥は一瞬言葉に詰まったが、すぐに「まぁな」と応じた。
短い立ち話のあと、彼女がスマホを取り出して微笑む。

「せっかくだし、連絡先、交換しない?」

差し出された画面を見つめ、迷いが胸に落ちる。
断る理由はいくらでもあるはずなのに、そのときの心は疲れていて、言葉が出てこなかった。

「……ああ」

そう答えて、彼女のスマホに自分の番号を打ち込む。
画面に新しい名前が登録される。
小さなクリック音が、思いのほか大きく響いた気がした。

***

夜。
玄関の扉を開けると、いつものように「おかえり」と声が迎えてくれる。
実弥は普段と変わらない笑みを浮かべて靴を脱いだ。

だがポケットの奥では、さっき交換したばかりの連絡先がまだ温かく光っている気がして――
胸の奥に、小さなざわめきが消えずに残っていた。