ここは、ひどくなかった。
台風による大雨や強風による被害と同時に、生活に必要な水を得る。
悪いことはニュースになるけど、いいことはあまりニュースにならないね。
だから、人は悪いことばかり目についてしまったりするのかなとも少し思う。
メディアのありかたをどうこう言っても仕方ないのかもしれないけれど、受信側はきっともう嫌気がさしてる。
ジャーナリズムってなんだろう。
メディアの責任にしてしまうことは簡単で、結局は自分がどうするのかなんだけど。
少し勉強してみると、南半球では渦の巻く方向が日本とは反対になるみたい。日本での常識も、外に出ると常識でないことに気づく。
きっと渦の巻き方が異なるということも、気象関係に詳しい方からしたらそんなことは常識として捉えるんだろうけど。
そんなこんなで誰かの常識を、自分の常識に当てはめるのは本当に難しいと思う。
「Aと伝えたいなら、Bと言う。」
守らなければならないこと、こうしてほしいなと願うこと、教えること。
言葉を選んで伝えなければ。
誰に?
言葉は変容する。その多様性こそ、おもしろい。
ponta

先日紹介した「日本辺境論」。つい他の本も買ってしまった。
「コミュニケーション能力が必要。現代を生きる人間に足りないのは、コミュニケーション能力だ。」
そんな声は、そこらへんでよく耳にするし、そういうことを言っておけば今は「おっ!なかなかあいつは考えてるぞ。」と「コミュニケーション」多様派からは認められたり(あるいは就職で役に立ったり)するのかもしれない。
俺は、少し違う。
コミュニケーションなんて言うけど、それはただのコトバ。
「よし、コミュニケーションとろうぜ。」なんてことにはならない。まして初対面であり、自分とはなんら関わりを持たない「他者」であるなら、なおさら。
ひどく聞こえてしまったら、語弊があるかもしれないので先に「ごめんなさい。」を伝えておきます。
「ごめんなさい。自分以外はみんな「他者」です。」
その中でも、きっと同じ方向を向いて歩んでいく「他者」を「仲間」と呼び、自分に対してひどいことを言うような「他者」を「敵」と呼ぶのだと思う。
「仲間」も「敵」も、同じ「他者」であることには変わらない。
コミュニケーションは「他者」を含有している人間の創造的な営みである。
「仲間」とのコミュニケーションについては、みんなきっと知っているけど、「敵」とのコミュニケーションはそっぽを向いてしまう。(俺も含め、ジャーナリストも、政治家も。)
むしろそれが当然でもあるし、否定しようなんて気はさらさらない。
でも、ここでこの拙い文章を読んでいるのが自分と同じ世代の「仲間」だと一方的に想像して、俺はあえて「発信」をしたいと思った。
みんなには「受信」してもらって、あとは捨てるなりなんなりは自由にしてほしいです。
同じ「地球」という「同胞」の中に存在する「仲間」と「敵」。
同じ「日本人」という「同胞」の中に存在する「仲間」と「敵」。
‥‥
すべてを考えることができたらすばらしいよね。きっと日本はとてもいい国になるよ。
なんて、そんな正しいことは、伝わらない。
伝えるためには、きっともっと別の何かがあるはず。
それが俺には分からないんだけどね。だから、楽しいけどね。
でも、それが分かったらもっと楽しくなりそう。
ponta
日本辺境論 (新潮新書)/内田 樹

あくまで「抜き書きのメモ」と主張された本。
この本を読むぐらいなら、先人たちの専門書を見ればより理解はできるとはっきり述べている。
でも、確認していくことが大切なんだと。
30ページしか読んでないけど、言いたいことを保守的な要素と攻撃的な要素を備えて書いてあって、おもしろいと思った。
正直、辺境人という言葉の意味の解釈とかは自分の中ではどうでもよくて、むしろ辺境人であるのは○○であるからだ。
といった類いの根拠にもとづく言葉を知ることができることが、いい。
そのあとに日本人とはこうあるべきとか、もっとこうしていく必要があるとかは、ある一部の主観となるところで、それが正しいなんて知り得ない。
それでも、まだ知らないことがたくさんあって、いつもきょろきょろと新しいものを探すときだけ真剣になって、今ここにいて、ここにあるものを確認しようとするときに思考停止になっていては、自分が満たされない。
こんな論評みたいな内容も、いわば主観だけどね。
ponta

あくまで「抜き書きのメモ」と主張された本。
この本を読むぐらいなら、先人たちの専門書を見ればより理解はできるとはっきり述べている。
でも、確認していくことが大切なんだと。
30ページしか読んでないけど、言いたいことを保守的な要素と攻撃的な要素を備えて書いてあって、おもしろいと思った。
正直、辺境人という言葉の意味の解釈とかは自分の中ではどうでもよくて、むしろ辺境人であるのは○○であるからだ。
といった類いの根拠にもとづく言葉を知ることができることが、いい。
そのあとに日本人とはこうあるべきとか、もっとこうしていく必要があるとかは、ある一部の主観となるところで、それが正しいなんて知り得ない。
それでも、まだ知らないことがたくさんあって、いつもきょろきょろと新しいものを探すときだけ真剣になって、今ここにいて、ここにあるものを確認しようとするときに思考停止になっていては、自分が満たされない。
こんな論評みたいな内容も、いわば主観だけどね。
ponta