Carpe Diem 〜今を生きる〜  -4ページ目
なぜ生きるのか。
なぜ学ぶのか。
なぜ苦しむのか。
なぜ喜ぶのか。

日常で起こる出来事の必要性や、その意義や価値、また、人の感情や言動。

あれこれと理由を知りたくて、かれこれ考える。

いつも答えなんてないという答えにたどり着くんだけど、ふと新しい答えが今ふっと現れた。

なぜ?
「いつでも、そこに出逢いたい人がいるから」。

とても読み返すと恥ずかしくなる様な答えなんだけど、今日この瞬間でなければたどり着けなかったと思うと、まだ出逢っていない人、それはつまり子供たちなんだけど、感謝してもしきれない。

自分のためだとばかり思ってるのはマイナス。今を生きるとは、自分やあなたに表現の自由を認めてあげること。
またひとつ教えてもらいました。

明日出逢う子供たちへ。ありがとう。
photo:01






iPhoneからの投稿
悲惨。
拡大する残酷な現実。
苦しい、嫌だ、吐きそうだ。

無力で,無知で、嫌になる。

生きたいのに、生きる自由を無惨に奪って、
これまでの幸せな日常を異常な速さで水に流していって、あんまりだ。

原発の被ばくにしたって、長い歴史の上に築いてきた知が、人を陥れる武器にもなるなんて、
そんな受け入れたくない事実を晒して、これ以上何をさらっていくんだろう。

「自然」や「知」が、「血」や「涙」を流す。

じゃあ、今いったい何を求めていけばいい。自分に与えられてることは何だ?
自分の信じるまま、誰にも縛られずに、好きなことをやって、
それでも、
自然の猛威は避けられない。何の助けにもならない。幸せじゃない。

一体どうしたらいい?
祈っても、地震は止まらない。
願っても、被ばくしてしまう方がいた。

答えを求めて、本屋に行った。
photo:01



俺は小さい。
結局自分のことしか考えられない。

見えてない。画面の向こうに映るそれを信じきれてない。

どうかはやくいい方向に向かってください。

iPhoneからの投稿
破滅に向かうのか。
再生に向かうのか。

死に向かうのか。
生に向かうのか。

「≒」。破滅≒再生、死≒生。

「=」でないのは、同じである正しさは自分で決めることで、明らかにされないまま、なんらかの手段で手に入れたそれを疑うことなしで受け入れてきたから。たぶん多くの人がそうだと勝手に思う。

ただ破滅に向かう、死に向かうというほうがよく耳にし、まるで今こそ尊く豊かであるかのように錯覚してしまう。こともある。


一旦寝る。おやすみなさい。

穏やかではない朝がきた。

好きな夜が来た。
結局わからなくていいことを、無理やりにわかろうとすると眠くなる。
でも、知りたい。やはり眠い。

それは逃げか?本能か?

ふとした違いはあるのかも。
足元を見てもいいと思う。
photo:01



真ん中らへんを見てもいい。
photo:02



そして、自然に身を投げ出す準備を進める。
photo:03



餓えを知らない人間は、己を蝕んでいる。食への飢え、知への飢え、生への飢え、など。
かくいう俺も、自覚した被害者だろう。

虚しく、強く心臓は鼓動を鳴らす。

幸せなんだと思う。


iPhoneからの投稿