Carpe Diem 〜今を生きる〜 
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過去と現在が複雑に絡み合いながら、時はただ無常に流れる。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を表す

初めて、無常という言葉と出逢ったのは、中学校2年生で学習した「平家物語」だった。
その頃と言えば、自分の中の世界と自分の外との世界との狭間で、感情をコントロールできなかったように思う。苦しい時代だった。

自分という存在、そこに内包している他者の存在や誰かの名言や、誰かの記憶…。
生まれては死に、咲いては散る、記録したはずの記憶が薄れてゆく。輪廻転生、ニルヴァーナ…。

儚さとは、美しいことだと考える日もあれば、やはり、儚いものなのだと言葉の意味通りにとらえたりする日もある。

考えが生まれては、移り変わってゆく。

十月十日という、命が一般社会の空気に触れる前段階の自分という存在は、いったい何者なのか。十月十日という意味を含有させた「朝」の存在とは、いったい何なのか。そんな哲学的な考えに思いを巡らせては、どうでもよくなる朝と出逢う。

そんなことを綴っている今この時間もまた、次の瞬間には、もう過ぎ去っている。

時間というものは、二重螺旋に永続的に続く糸であり、その糸の素材は、人間の意図であったりする。形を存在させるのは、私たちの想像による創造でしかない。

個の時間に、集団の意図が入り込む、朝の糸が近づいてくる。
その糸を撚るのは、夜の今なのかもしれない。

できれば、藍の色を染色したい気分。蓮の花が咲くといわれる藍の染色。

その境地に辿り着くことはできるのだろうか。常が始まろうとしている。

ここ最近書くことには、全く困らなくなってきた。
自分が伝えたいことは、既に他の誰かによってもっとわかりやすく伝えられていることにようやく気づいたようなそんな感じがするからだ。

いつか夢は自分でつかむものって、教わった。

そこには納得していたんだけど、自分の中にはちゃんと他の「誰か」の存在があってこそだということに気づかされた。

チームや集団といった個とは違った形で抱く「夢」であれば、なおさらのこと。


今、仮に「日本が中国といっさい喧嘩をしない状況にしたい」としたならば、メディアによる報道をある程度規制する必要がある。

同じような映像を繰り返すべきではない。

日本人の中に徐々に、悪の芽が芽生えつつある。その証拠に、一般にも普及している多くのSNSのつぶやきやコメントの中に、悪の芽ともとれるものが多く氾濫するようになった。

例えば、中国が日本の国旗を踏みにじったり、燃やしたりするデモの映像を見た受信者は、「中国マジでむかつく。」などとつぶやく。煽るだけで、誰も何も変わらない。

そこで伝えるべきことは、一個人の感情ではない。

絶対的な柱として、憲法9条に「戦争放棄」を謳ったのは、痛みを知ったからだと思う。もっと発信すべき、日本の誇る憲法でしょ?冷戦状態になっているなんて情報もあるけれど、それも戦争だ。


いつだって「誰か」に主張する前には、「内側」を見るべきなんだ。

「中国」も「日本」も力を合わせて、「どっちも幸せになろう。」

「You」+「Me」=「夢」

武力行使、経済制裁。それらによって、傷つく子供たちの悲しい涙を、見たくはない。

俺の夢を叶えるためには中国の力が、必要です。日本の代表者の統率力が必要です。


今、自分は灯りをつけています。電灯ではなく、キャンドルです。

なんだかとっても穏やかな気分。明日も、ワクワクする1日が待っている。

それでは、おやすみなさい。



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地球の中を歩く。
ライトアップされた洞窟内には、地球の神秘があった。
何億年もの歳月を経て、生まれた自然のアートに圧倒された。

なぜだかわからないけど、神聖な場所にいる感じがした。
体の余分な力がスっと抜ける感覚。
心地良い地球の中の音。
絶対的な暗闇をその手で明るくした人のパワー。

行くべくして行ったんだろう。

自分の中の直感を信じることで、なりたいようになっていく。

じっくり考えてからではできないこともある。
あらかじめ予定していたって、やりたくなくなることもある。

そういった意味では、誰もが苦しい現実を生きているように思う。
そういった意味では、誰もが楽しい現実を生きているように思う。

苦楽を共に生きるとは、ただ人と人との関係づくりだけで与えられる課題ではなく、無意識に出来上がっている受け入れざるを得ない現実をも生きることだ。

現実の中で、その時々、何を選ぶのか。捨てるのか。

こんな難しいことを考えなくてもいいのに考えるのは自然の摂理なんだろうか。



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