上記動画で家庭連合おじさんは敢えて、「神を信じれば」という箇所を「神の願いどおりに生きれば」と置き換えて解説していますが、この置き換えはパスカルの意図するところを誤解させるものです。

 

と言いますのは「パスカル賭け」は神を信じることの代価が小さいことが前提で成り立っているからです。ですので、「パスカル賭け」を批判する人はその点を突いてきます。無神論者で有名なリチャード・ドーキンスとかがそうですよね。

 

旧統一教会が教える「神の願いどおりに生きる」ということを実践すれば大きな代価を支払わなければなりません。過去においては霊感商法やインチキボランティア詐欺などに手を染め、好きでもない人と結婚をし、高額エンドレス献金に応じていくことが神の願いだと信者たちは言われてきたのです。結論として旧統一教会においてはパスカルの賭けは成り立ちません。間違いに気づいた時、「あー損した」程度では済まないのです。

 

このAさんのようにね。

 

以前私が書いた「パスカルの賭け」の記事