死後の世界はあるのかないのか。

 

誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか。私も子供の頃からずっと考えていましたがある時から考えることを止めました。「分からないことをずっと考えていても仕方が無い」そう思ったからです。お釈迦様も同じようなことを言っていたと伝えられています。

 

巷で言われている死後観は「良いことをしたら天国に行き、悪いことをしたら地獄に行く」というものから「死んだらそれで終わり」といったものまで様々です。

 

どのような死後観が正しいのは実際死んでみないと分からないでしょう。

 

下の動画は臨死体験をした方の証になります。

 

 

ハワード・ストーム氏が証していることが本当にあったことなのかどうか客観的に証明することはできません。単なる脳内現象かもしれません。

 

しかし、証した内容が本当であったとしたなら福音を信じた方が良いということになります。

 

死後の世界を聖書には次のような描写(赤字部分)で語っています。

また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。

 

これは聖書の最後の書物、ヨハネの黙示録の一節です。この書には世界の行く末、人類歴史の終わりなどたくさん書かれていますが、人間の死後の世界についても記しています。 聖書全体が語っているのは、死後の世界があること、人間の魂は死んで終わりではないということです。ここでは、人が死後、創造主なる神の前で公平・公正な裁きを受けるときの様子が描かれています。

 

パスカルは次のように語っています。(※パスカルのいう神はキリスト教史観に基づいたものです)

 

パスカルは「神を信じること」と「賭け事」を関連づけて語っています。こんな感じです。 神は存在するか、存在しないかのどちらかだ。それを信じるか、信じないかもどちらかだ。組み合わせは次の四つ。 まず「神は存在していて、あなたも信じている場合」次に「神は存在していて、あなたは信じていない場合」三つめは「神は存在しないのに、あなたはいると信じている場合」四つめは「神は存在せず、あなたも信じていない場合」あなたはどれを選びますか? これはちょうど賭け事みたい、とパスカル言うのです。

 

さらに、どれが得か考えたら「信じた方が得ですよ」と言うのです。 神は存在しないのに、いると信じていた場合、本当に存在していなかったら「ああ、損したなあ。」と思うでしょう。でも、神が存在しているのに信じていなくて、後からおられるとわかったときの損失はどれほどでしょうか。 パスカルは「期待値」という手法を使って、神を信じないほうがはるかに損失が大きいことを証明しました。ふざけているのではありません。数学者としても有名な彼は、この「パスカルの賭け」と言われている考え方も含めて「確率論」を進展させたと言われています。 もちろんパスカルはこの理由だけで信じたのではありません。逆に自分が抱いている信仰を人々に説明するために数学的発想を用いたのです。 「ある」か「ない」かで変わる人生 「死後の世界はあるのか」「死後の裁きはあるのか」なども同じように扱うことができます。「ある」か「ない」か、どちらに賭けるかによって、私たちの生活は大きく変わります。検討してそれなりの意見を持った人もいれば、考えたこともない、という人もいるでしょう。でも、私たちが生きているということは、どれかに「賭け」ているのです。知らず知らずのうちにも選んで、その価値観で生活しているのです。 

 

「死後の世界の存在」を語るのが聖書のゴールではありません。自分の行いに応じて裁かれる私たちは、このままでは神から「正しい」と宣告されることは困難だ、と聖書は警告します。死後の永遠の世界で平安と勝利を得るためには「罪の赦し」が必要です。正義と同時に愛なる神は、まさにそれを与えるために救い主イエスをこの地上に送ってくださったのです。

 

神はいるのか、死後の世界や裁きはあるのか、イエスは救い主なのかなど、人間にとっても最も大きな課題にチャレンジしていただくことを心からおすすめいたします。 

 

次のことばはイエスの約束です。

 「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。」 (ヨハネ5:24)

 

 

追加動画

慶先生が聖書が信じるに足る書物であることを語っている動画になります。