関東大震災時の朝鮮人虐殺を裏付ける新文書と称する新聞記事について | KGGのブログ

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 標記の件について、2023年12月14日に毎日新聞がWEB版で報道していました。スクープだそうです。WEB版を見ましたが、有料記事でした。無料の部分だけを魚拓にしました。

 これについての評論は、従って無料部分のみについてです。

 

 

 さて、この記事では警察署への移送中の朝鮮人四十数人が「殺気立てる群衆の爲めに悉く殺さる」と記録しているとのことです。

 

 また、この記事についてあるブログに、

「あの事件は新聞記者どもの流言飛語が原因でした」というタイトルに批評記事がありました。

https://pachitou.com/2023/12/17/あの事件は新聞記者どもの流言飛語が原因でした/

 

 これによると、朝鮮人虐殺は新聞記者の流言飛語が原因としています。

 

 この問題については以前から興味があったのですが、なかなか探しきれませんでした。

 

 そこで、先のブログの中にあった、

「国立公文書館アジア歴史資料センターのwebで

「熊谷連隊区司令部歴史」 大正12年9月4日~大正12年12月15日

で検索すれば誰でもダウンロードできます。」

との言葉がありましたので、検索をかけました。

 

 はい、簡単に出てきました。

 情報を集めたのは、確かに陸軍連隊区司令部なのですが、記録しているのは在郷軍人会の人々です。つまり日本陸軍ではなく、退役した元軍人です。つまり民間人です。その記録を熊谷連隊区司令部が冊子にしたというのが正しいものでしょう。

 視点は在郷軍人の方のものです。もちろん、手前味噌な部分もあるでしょうが、在郷軍人の人々が、いかに市井に役立つかを、実際に起こった事例をもとに、危機管理の要諦を、事実とともに記したものと考えられます。

 それは、地震国である日本の津々浦々での対策に参考になるものと考えています。

 しかし、今回は先の新聞記事とそれに対する批評ブログに触発された、自室に籠もり何事にも疑り深くなった高血圧の高齢者のその部分についての評価です。

 

 

 その記録は、

「 大正十二年十二月十五日

関東地方震災関係業務詳報

   熊谷連隊区司令部」    というのがタイトルです。

 

目次はつぎのとおりです。

1 一般の状況

2 行動の大要

3 警備及び救援

4 航空                なし

5 交通通信その他の技術作業      なし

6 補給                なし

7 衛生救療             なし

8 経理および宿営給養などに関する件 なし

9 輸送               なし

10 外国人および社会主義者等に関する件 なし

11 各部隊建造物その他被害の状況ならびに之が応急処置

12 情報線分に関する件

13 業務遂行上とくに功績ありたる者の氏名および事績

14 その他の事項           なし

15 将来参考となるべき所見

 

 

 

 この「関東地方震災関係業務詳報」を読み、行動の経過の概要を次に示します。

 

1 (9月1日)各新聞は事実の真偽を確かめず、(報道することによる)人心の反響について考慮することなく、号外を競って発行して驚きの惨事を記事にし、虚報を流した。

2 (9月2日)不逞鮮人に対する流言蜚語が深刻に伝えられた。

3 市民は自警団をつくり、凶器をもった。警察の威信は崩れ、警察を罵倒する者もいた。

4 これに対して、在郷軍人会は民心の鎮静ならびに救援のため活動した。

5 (9月2日午後)不逞鮮人襲来の噂が真実のように伝えられたことから、流言を否定するため印刷物を発行して人心の鎮静に努めた。

6 (9月3日夕)熊谷駅で鮮人と間違われて一邦人が群集に殴打されて負傷した。被害者を保護し手当を施した。

7 (9月4日)担当地区に戒厳令が発令された。

8 (9月4日)浦和方向から熊谷に移動護送された鮮人200余名の内百数十名は、警察官と地元在郷軍人会員などにより深谷ならびに本庄警察署に護送された。昼間護送することはできなかった。四十数名は殺気だった群集に久下、佐谷田及び熊谷で殺害された。本庄警察に向かった者も同様。深谷警察に向かった者は無事保護された。

9 9月3日夜以来、軍の協力を求めようとしたが、交通機関の不備と警察力が弱いため、突然の事件(おそらく鮮人殺害と思われる)が発生した。

10 (9月5日)軍隊(歩兵第32連隊)26名が到着。

11 (9月7日)軍隊(歩兵第七連隊の歩兵5中隊と一小隊)が到着。

12 9月8日以降、各種宣伝文を配布。救援品の輸送、東京救援隊派遣など行う。

 

 

 報告書を読んで、私なりにまとめました。

1 関東大震災後の朝鮮人虐殺は埼玉ではあった。(報告者が実際に見たのかは不明)

2 虐殺が自然発生的に起こったかは不明である。

3 虐殺の規模がどれほどのものがあったかは不明である。熊谷などで四十数人という記載はある。

4 朝鮮人に対する民衆の憎悪の理由は、新聞社の号外の「虚報」記事に煽られたものである。

5 在郷軍人会は市井にあり、その偽情報による人心の乱れを抑えるべく活動した。

6 在郷軍人会は震災当初、警察や市町村と協力して朝鮮人を保護した。

7 当時の背景として、朝鮮人に対する不安感があった。

8 不逞鮮人と(善良な)鮮人を区別している。

 

 

 こうしてみると、当時の新聞社は、朝鮮人の暴挙について事実確認をせず、徒に人心を惑わすかの如く虚報を垂れ流した。そのために一般市民が朝鮮人を虐殺した、となります。

 話者(在郷軍人の報告者)は不逞鮮人と(善良)な鮮人を区別しており、問題のない鮮人を、暴徒から守るために出動しています。

 また、在郷軍人会はビラを作成して、流言飛語と現実を区別するよう市民に啓蒙した。

というところでしょうか。

 

 そもそも『不逞鮮人』と記載されているものも、被災者からの伝聞に基づいているものと考えられます。(ブログ主の想像)

 まあ、集団のなかには法令に従わない輩がいるのは、別に朝鮮人だけではなく、日本国民もそうです。不逞鮮人というのはそういう輩かも知れません。彼等のために無辜の善良なる朝鮮人が虐殺されたとなると、これは民衆を焚きつけた、メデイアの責任は大変大きなものと考えられます。

 現在も、震災被災地に行って留守宅をあらす連中もそういう輩でしょう。また、報告者が言う、暴徒に殺された四十数名が、不逞鮮人なのか善良な鮮人なのかは不明です。

 

 

 

 で、2023年12月14日の毎日新聞WEB版の記事を見ると、なんだか「朝鮮人虐殺」のみを強調しているように見えました。まあ、記事の後半は『有料記事』なので、そこで異なる結論をしている可能性はあります。

 

 しかし、この在郷軍人会の報告書の言いたいことは、次のとおりと思います。

 

「朝鮮人虐殺事件は、大震災を利用して流言飛語を飛ばして市民を誘導した、当時のメディアの責任である」

 

 責められるべきは、メディアです。

 昔のメディアも、事実認定せずに「噂」を広めることに熱心だったのですね。

 また、昔のメディアの責任を読み取ることもなく、自分の主張だけを『鬼の首を取ったように』紙面を汚して『報道』することは、現在のメディアも100年前と何ら変わらない体質と思ってしまいます。

 

 在郷軍人の報告は、あくまでも「民間人」の報告であり、それを全て鵜呑みにして肯定するのも危険であると思われます。

 

 この毎日新聞記事を書いた記者は、何を言いたかったのか。ある程度、察しが付きますが、自分達の言いたいことだけを切り取って『事実』として提示するのは、いつもながらのやり方と思ってしまいます。

 

 

 最後に、地震発生の翌日9月2日以降と思われる記事の一部を示します。

「二日以来流言飛語随所に顕滅し、正午来、陸続として来たる避難者によりて、巷間の浮説を裏書きせらるるものさえあり。加うるに、各新聞は事実の真偽を顧みるの遑なく、又、人心の反響は何等之の考慮するの念なく、競って其の号外に奇驚の惨事を揚げて、以て虚報す。而も鮮人の暴挙と襲来は却って官憲より伝えらるるに至りては、何ぞ克り意馬心猿の民衆を鎮めて訛伝を防過するを得んや。」

 

注 当該報告書の一部については、pdfデータから文字起こしし、原文を読みやすくしたのですが、著作権の問題もありますので、一部のみとしました。

 

 

 最後に、2023年12月の毎日新聞を図書館で確認しました。12月11日から12月20までを確認しましたが、このWEB版の記事はありませんでした。

 ちなみに、2023年12月13日の12版、第11ページにオピニオンとして朝鮮人虐殺の記事が掲載されていました。その一部をJPGで出します。

 

毎日新聞記事から

 

 政府が事実認定しないのは、公式文書にないからなのではないですかね。まあ、過去に「従軍慰安婦」と称する売春婦の問題で足をすくわれたことがあるので慎重になっているのでしょう。(あくまでもブログ主の妄想)

 どうやら、あらたな(偽)補償問題を見つけ出そうとする動きがあるのかもしれませんね。

 『徴用工』という文言で、『強制的に日本企業で働かされた』という主張は、実際には応募工であったわけで、あまつさえ1965年の日韓基本条約で解決済みですね。

 

 過去に日本が朝鮮半島や台湾に行ったことを見ると、この教授が言う、植民地という概念とは異なるようにブログ主は考えています。

 確かに、BBCやGuardianなど英語系のメディアをみると、「colonization」という言葉を戦前日本の朝鮮半島や台湾に行ったことに当てはめています。しかし、そもそも欧州各国が、アフリカなどで行っていた「colonization」と、過去の日本が行っていたこととは、根本的に違います。

 欧州列強がアフリカで大学を作りましたか?16世紀以降、簒奪を繰り返した事実はありますが、組織的に高等教育を現地で行ったということは、ついぞ知りません。そうであれば教えてもらいたいものです。

 

 一方、朝鮮半島では京城帝国大学、台湾では台北帝国大学をつくり、初等教育から高等教育まで行いましたよね。京城帝国大学は6番目の帝国大学として1926年創立、台北帝国大学は7番目の帝国大学として1928年創立です。大阪帝国大学は創立が1931年です。内地の大学より朝鮮や台湾を先に作った理由は何なのですかね。

 そもそも字義通りの植民地であれば、簒奪するだけで、インフラ整備や教育などしませんよ。大日本帝国時代につくられたダムは、いまだにどこかの半島の国で活躍していますよね。それだけでも「植民地」という表現が不適切と思ってしまいます。

 

 

 新聞記事はもうすこし探してみます。東京版だけなのかもしれません。わざわざ、そのために有料記事に金を出して読む気もしません。ドブに金を捨てるよりも悪手であると思います。

 

 記者と称する連中には、もうすこし記録を読み解く力をつけてもらいたいものだと思います。ただ、今回は、資料の名称を明らかにしたのは、この記事を書いた記者のおかげです。こういう記録を掘り出すことは大変重要ですので、わかり次第記事にしてもらえば、私もその「原典」を確認することができます。

 

 これに懲りずに頑張って下さい。