いつもありがとうございます。
ついに京都旅も最終日。このシリーズは本話を含めてあと2回で完結です。
本来は朝8時半の開門に合わせて龍安寺へ行く予定でしたが、大雪で路面が完全に凍結。配車アプリでもタクシーがつかまらず、やむなくGoogle Mapの案内に従ってバスで向かうことにしました。立命館大学前で下車し、そこから山のふもとへ。
しかし雪の影響でバスは超低速運転。到着したのはすでに10時近くでした。
歩道はガチガチに凍結している一方、車道はおそらく融雪剤が撒かれていて比較的安全。道中、歩道で滑って転ぶ人や自転車が続出していました。それでも日本人は律儀に車道を歩かない。かなり危険な状況でした。逆に金髪の外国人観光客はスーツケースを引きながら車道脇を歩いていました~!
あまりの滑り具合に徒歩での登山は不可能レベルでしたが、立命館大学前でなんか奇跡的にアプリでまたタクシーを確報。無事に山上まで到着!
大雪で多くの人が来られなかったのか、龍安寺の入口は驚くほど空いていました。チケット売り場の女性から「石庭はほぼ雪に埋まっていますが、それでも見ますか?」と写真を見せられましたが、もちろん入場。
入ってすぐに公衆トイレがあり、母が利用している間に自販機を撮影↓

雪はまだ降っているのに、空は青く、太陽も出てきていました↓

最初は「寺+庭園」くらいのイメージでしたが、実際は山林そのもの↓

かなり広く、石庭へ向かう途中も雪に覆われた林道が続きます↓

山の上なのに池もある↓


続けて歩くと


そしてようやく方丈庭園へ↓

入口の英字表記が「ROCK GARDEN」で!ロックですね!
中には書が飾られていましたが、その場では読めずスルー↓

後で画像を確認すると、なんと晋の陶淵明「飲酒 其五」でした。
結廬在人境,而無車馬喧。
問君何能爾?心遠地自偏。
採菊東籬下,悠然見南山。
山気日夕佳,飛鳥相与還。
此中有真意,欲辨已忘言。
日本語の意味としては、「人里に住みながらも俗世の喧騒に染まらず、心が遠くにあれば自然と静寂が得られる。菊を摘みながら南山を眺め、夕暮れの山気と鳥の帰る様子の中に真意があるが、それを言葉にしようとすると忘れてしまう」という内容。
私も中学の頃にこの詩を習ったことがありますが、日本でどの程度知られているのかは分かりません。陶淵明は非常に隠遁的な詩人で、この連作のほかにも「桃花源記」を書いています。その世界観は龍安寺の雰囲気にもよく合っていると思います。
ちなみに当時「書道」と読んでいた二文字は↓

後で確認すると「通気」でした
目が不自由の方に向けのミニ石庭↓

いよいよ本題の石庭へ↓

この庭はデヴィッド・ボウイや英国女王も訪れたことで有名で、通常はかなり混雑しているそうですが、この日はなんと10人もいない状態。

雪に埋もれた石庭は、もはや砂紋も見えず。ただし庭師が雪の上に円を描いていました↓




外の森林に比べると、石庭の写真はむしろ一番少なかったです。というのも、どの角度から撮ってもだいたい同じような感じになるからです。
動画も少し撮りましたが↓
カメラには手ブレ補正がなかったので、スマホでもう一度撮り直しました。そちらの方がかなり安定していました↓
写真を撮り終えた後は、適当な場所に座って瞑想できます。私たちは中央より少し右側に座り、ちょうど足元に日が当たっていたので、座っていてもまったく寒く感じませんでした。もっとも、瞑想中はそもそも寒さはあまり気にならないものですが。
ただ、母はそこまで慣れていないので、少し寒くないか気にはなりました。それでも特に気にせず続けました。実際に座ってみないと、この場所の良さは分からないし、体験しないとデヴィッド・ボウイや英国女王がなぜここを評価したのかも分からないと思います。
正直に言うと、中国人には枯山水はあまり理解されにくいと思います。大陸の庭園は基本的に建物や装飾、花が豊富であることが前提なので、枯山水は素材だけを見ると、どうしても工事現場のように見えてしまう部分があります。自分自身も完全に理解できているとは思っていません。
しかし、AIの言う通り、枯山水は「鑑賞するもの」ではなく、「視覚ノイズを消す装置」。
見るべきものがないからこそ、外ではなく内側に意識が向く。
中国大陸で形成された禅宗が日本に伝わる過程で(インドの原始仏教にも瞑想実践自体は存在していたが、「禅宗」や「頓悟」といった思想的枠組みは中国で発展したもの)、枯山水や茶道といった二つの重要な文化が生まれました。
枯山水は禅における頓悟へと導くための装置のようなものであり、龍安寺はその装置としての完成形、いわば頂点にある存在だと思います。
山、木々、雪、陽光、鳥の声。これらが合わさって、極めて強いフィールドが形成されていました。いわば現実世界の超高級ASMR。
30分座る体験は、人生の中でもかなり特別なものになりました。
途中で空中に粒子のようなものも見えましたが、後でAIに聞いてみると白血球が光の中で見える現象とのこと。以前は鞍馬山で一度見ただけでしたが、龍安寺以降は日常でも見えるように。
しばらくすると修学旅行の学生たちが来て賑やかになってきたので撤収。
石庭の隣りの景色↓


高校生たちの後ろについて少しだけ解説を“タダ聞き”しながら(笑)下山↓

雪の林道↓

西源院(閉鎖中)↓

ここはどこかな?



藤棚らしき場所、「ここで弁当禁止」という看板(実際に食べる人いるのか?)がある↓


途中の池に戻る↓


山の上が無人だと思わないでください。実際には修学旅行の高校生たちがずっと私たちの後ろを歩きながら、にぎやかに話していました。人が写り込むのを避けたかったので、私たちはわりと早足で、写真を撮ったらすぐ先へ進むようにしていました。
ここには柿の木もありました。日本はどの季節でも、どこにでも柿があるような気がします↓

最後は入口まで戻り、再びアプリでタクシーを呼んで大徳寺へ。修学旅行の学生たちは専用車で先に出発。ちょっと羨ましい。
後からAIに分析させると、あの状況はかなり特殊で、ほぼ無人の龍安寺は通常ありえないとのこと。人を避けたいなら、大雪の日しかないかもしれません。
あの高校生たちも、おそらく30年後になって初めて気づくのでしょう。あの日、自分たちは“空白の裂け目”のような時間――ほとんど人のいない龍安寺――に入り込んでいたのだと~!
お読みいただきありがとうございました。
次回は一休が住職を務めた大徳寺編。
写真が少ないので晴明神社もまとめて紹介予定です。