じじさまは認知症 -2ページ目

じじさまは認知症

ヘタレ主婦、子育てと介護もどきを頑張る。の巻

じじさんのボケ具合が以前にも増してきた事を痛感しつつも、ネットや雑誌で得た情報でしか対処ができないまま3年が過ぎた去年。


病院に行って欲しいけど本人のプライドの高さを考えると、

説明して連れて行くのはもちろん難しく、かといって隠していった場合後からバレた時が恐ろしく何も実行出来ずに過ごしていました。

本人がどの程度自覚があったのかはわかりませんが
思い出せないことへの恐怖ややり場のない怒りを感じているようでした。
あ、やり場のない怒りは私たちにぶつけていたようにも思いますが。

この頃はじじさんの気持ちまでちゃんと考えてあげられていませんでしたが
一番傷ついているのはやっぱり本人なんですね。


話は若干逸れますが
じじさんの様子がおかしくなり始めてから、
アメリカに住んでいる私の叔母(じじさんの次女)が半年に一度日本に様子を見に来てくれるようになりました。


1年前の6月頃にきてくれた時の事。

「いい加減病院に連れて行こう!私は何を言われてもどうせアメリカに帰っちゃうからいいから!」

と叔母。

どこの女神でしょうか。

こうして叔母
が矢面に立ってくれる事になりました。


話し合った結果、アメリカに帰る前日に説得し、翌日じじさんの気が変わらないうちに朝一で病院に行くことになりました。

叔母は滞在中にところどころでじじさんに体調や生活の事を聞いて打診していたのですが、結局じじさんは病院に行くことには否定的でした。

それがどういう経緯で前日じじさんが病院に行くことを認めたかというと






忘れてしまいました。



確か、じじさんの兄弟が来てた時に説得してたのでちょっと見栄を張っていたというか、引くに引けない状況だったような気がします。


なにはともあれ行ってくれる事になったので私たちは第一段階をクリアしました。
それからは初診の持ち物などを調べました。
本当は物忘れ外来に行きたかったのですが、結局国立の総合内科へ。
付き添いは母と叔母が行ってくれることになりました。



やっぱり、本人に付き添って診察に行く場合は本人の目の前では言いづらいことも多いですよね。
「朝ごはんを二回も食べちゃうしぃ、何回も聞かれて嫌になっちゃうんですぅ」
とか
「じじさんは朝と夜の区別ができない時がありまーす☆」
とか

言えない言えない。

なので
どうやら

医師に伝えたい症状を箇条書きにしたメモを医師にこっそり渡すのがいいそうです。



わたくし、そのメモを作成するという大義を仰せつかりました。



じじさんがおじいちゃんになってから、一番じじさんの事をわかっているのは私ですから。
それに日中ずっといるのも私ですので。

皆様の多大なる協力を得てやっとここまできました。


無駄に終わらせるわけにはいきません。

私は深夜まで一生懸命考えてそのメモを作成しました。

下書きを二回

なかなかの出来だと思いました。




もしかしたら認知症かもしれない。
そうしたら始まる終わりのない闘い。
それでもわたしはきっと
安心してしまったんだと思います。


病院にやっと行ってくれるということに。


まだスタートラインに立っただけなのに。

その晩は、その安心感と、診断が下る緊張と、叔母が翌日に帰ってしまう寂しさと、
いろいろな感情を胸に眠りにつきましたとさ。


続きます。
続いてしまいますすみません。