目を開けていても何も見えない、明かりのない真っ暗な世界にいると、私の心にとある曲が流れ始める。
PVの映像と共に、鮮やかな“赤”が見えてくる。
初めてこの曲を聴いた時、私は自分の中に眠る日常の違和感を言い当てられた気がした。
それと同時に、違和感を感じていたのが自分だけではなかったという安堵感も正直感じた。
“マスメディア”はとても重要な情報源。
だけどそこで得られた情報は、不思議と『対岸の火事』として自分の中に侵入してくる。
目を覆いたくなる程に痛ましく、惨い情報であったとしても、この体が悲鳴を上げるわけでも、この体が切り裂かれるわけでもない。
だからその侵入を拒む事ができないのだろう。
ただ、時に心は悲鳴を上げていたりもする。
体は傷を負っていないのに、激しい痛みを心が感じている時がある。
そんな時、痛みをどう和らげられるのか…
どう拭ってあげられるのか…
自分が誰かの“クスリ”になれるかどうかを本気で考えてしまう。
だけど明確な効能なんてないから…
自分にはただ寄り添う事しかできない無力さを痛感するんだ。
今日という日が終わり、明日という日が訪れるのを共に待っている。
世界が…
時代が…
景色が…
例え変わろうとも、変わらないモノもあるという強い想い。
それさえ信じる事ができれば、見えない明日もちょっとは楽しく迎えられるんじゃないかと…
そう思っています。
JAM/THE YELLOW MONKEY
歌は人の心に希望をもたらす。
光を灯してくれる。