佐久間正英
この名前を聞いた人は何を思い浮かべるだろうか…
おそらく大半の人は
彼がプロデュースしたバンドなりアーティストだろう
一応、彼自身もバンドをやってはいるものの
知名度としてはプロデュース業が上
ただそのキャリアはバンドという括りにおいて
この先、彼を超える者はいない
と言っても過言ではない
そんな偉大なるプロデューサーの余命は
残りわずかなのだ…
http://masahidesakuma.net/2013/08/goodbye-world.html
http://www.barks.jp/news/?id=1000093234
スキルス胃ガンのステージVI
一言で言ってしまえば末期、手遅れ…
たった一言である
偉大なプロデューサーの生死がたった一言…
前述で述べた通り
彼自身というより彼が手掛けたバンドの方が有名であり
佐久間氏の知名度は
『知る人は知る』
『プレイヤーならば知らない人はいない』というものだ
佐久間氏がプロデュースした中で最も有名なのが
ダントツでBOΦWYだろう
またGLAY、JUDY&MARY
ラルク・アン・シエルは岡野ハジメと思うでしょうが
ブレイクする足掛かりとなった『Ture』は
佐久間氏のプロデュースによるもの
プロデュースした全てがブレイクしたわけじゃないが
そのバンドの転機となるものには
必ず彼が関わっていたと言えよう
そして、私が彼を知るキッカケとなったのは
やはり『黒夢』である
当初、東芝EMIは第二のBOΦWYを輩出しようと
佐久間氏をプロデューサーに起用
黒夢が第二のBOΦWYになったかどうかはさておき…
当時、東芝が黒夢に掛ける期待が
如何に大きかったかが伺える
佐久間氏はメジャーファーストアルバム
『迷える百合たち』から立ち会っており
この時、人時にとっては
必然であり運命でもある
生涯の師と巡り合う事になった
ただ次作の『Cruel』は
スタッフのミスにより佐久間氏を起用できず
セルフプロデュースという形になった
その際、作品を聴いた感想は
「(クオリティが)落ちたね」というもので
音楽に対しての真摯で厳しい一面ものぞかしている
それを受けて
満を持してプロデュースした
『feminism』はオリコン1位という快挙を成し遂げ
以後、活動休止の1999年まで快進撃を続ける事となる
が…
以後、佐久間氏は黒夢の作品に関わることはなく
人時は除き、清春と佐久間氏が
一緒に仕事をすることはなくなった…
作品の評価はされることがあっても
自分自身が評価されづらい
※プロデューサーとしては本来そうだろうが…
でもその功績は偉大で
彼無しでは日本のロックバンドは
語れないと思う
ましてや人時、JIROも
ここまでプレイヤーとして成長はしなかっただろう
故に人時のブログ では
ココロの整理ができていないとの事
でも本人は数週間落ち込んだぐらいで
全てを受け入れてるらしい
現状は以下だが
http://masahidesakuma.net/2013/08/goodbye-world.html
ここまで達観して
前向きにいられるのは
並大抵の事ではない
そして、今日は転移した頭部の
ガン手術を行う…
…
どうか
例え成功したとして
余命いくばくしか無いにしても
どうか彼を救ってください
最後までミュージシャンとしての人生を
全うさせてあげてください