TAIJI(一応死因は)脳死による
生命維持装置の停止ですが
この時、小学生の頃を思い出した…
それは脳死をテーマにした
ドラマスペシャルで
たしか新聞紙は大体的に
広告を出していた気がする
その広告の中に
脳死は死として認めますか?
生きてる/死んでるの問いがあった
それは予めアンケートを取っており
確か…
生きてる=40%
死んでる=60%
だったと思う
当時なぜ、Noが多いんだと不満を抱いき
私は『生きてる』を選んだ
理由を問われれば、
死というマイナス因子が嫌だったのだろう
もしくは認めたくない
あきらめが悪いともいえる
でも、現在の私なら
間違いなく死んでいるであろうし
延命措置を断るだろう
金銭面でのこともあるし
勝手な解釈で本人と為もいうのも加味する
不思議なものである…
子供の頃選んだ選択肢が
大人では180°変わってしまう
大人の私は打算的といえばそれまでだが
子供の私は全体が見えておらず
モノの見方が単純過ぎてしまう
どちらがどちらでもないんだけど
妙に不思議な感覚に見舞われた
だからなんだと言われれば
それまでなんだが
TAIJIの件では何か考えさせられる…
人生とは『あきらめること』が肝要なのか
それとも必死で『しがみつくこと』が美徳なのか
TAIJIの死は『あきらめて』なのか…
『しがみついて』の結果なのか…
今は知る由もない
『あきらめること』が脳死なのか
『しがみつくこと』が脳死なのか
またそれも然りである
もう一つ言えば
『あきらめる』のが大人なのか
『あがく』のが子供なのか
も、その一つと言えよう
でもいまさら子供にはなれないので
大人の自分は脳死は別として
何かの岐路に立つことがあるはず
その時、どの選択肢を選ぶのだろうか
『あがく』か『あきらめるか』
…
真面目な話でした