国土が空いているから少子化対策か?移民か?全て過去に戻れば解決するのか? | 儂は悪くないぞ!松平が!松平の奴が悪いンだ!

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 最近、youtubeなどでA級戦犯は存在しないだの、韓国人慰安婦の強制連行があっただの、右翼左翼の妄想動画をみつつ、jackwestというHNなんぞでコメントをいろいろと書き込んでみたが、結構、レスポンスが返ってくる。

 漏れなく適当に煽ってネトウヨの大好きな論破とやらにもっていくと、左翼は消えた後、こちらが知らぬ間にアクセス禁止にした後、書き込んだコメントを削除するが、ネット右翼は、皆、口を揃えて同じ台詞を言う。『私(僕)は(在日)朝鮮人じゃないです。信じてください』

 どこかで聞いたことがある台詞である。普通は『今は貴方の意見に反論できないけど、納得したわけではない』とか、『私の意見は間違ってるかもしれないが、今は意見を変えるつもりがない』とか、『貴方の意見が正しいのかもしれないけど受け入れられない』とか、そんなレスが返ってくるもんだが・・・

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20131231-00031168/

 この事件の犯人と、まったく同じ言動だ。犯人が漫画の作者に面識がなく、実際はどうでもよかったように、コメント欄で議論した連中もネットで主張をしていた意見や、今まで交わした議論など、どうでもいいのだろう。そのどうでも良い話をしてる時に自分に矛先が向えば自己保身に走るなんとも惰弱な連中だ。


 そんな思考的に惰弱な連中に支持されている田母神が、どうもヒトラー染みたネット上で発言をしだした。

「ウーマンリブ運動が起きたのはロスチャイルドやロックフェラーが、女性が働くようになれば女性からも税が徴収でき税収増になる、また女性が働けば家庭教育が困難になり公教育に頼る、そうなれば子供たちの洗脳教育がやり易いと考えたからです。その結果が現在の女性の社会進出であり、少子化なのです。」

「私は能力のある女性が働くことを否定するものではありません。しかし女性がみんな働くような国造りを目指すことは晩婚化、少子化を推進することになると思います。私は女性が働かなくても生活できる国を目指し、能力のある女性は例外的に働く国を目指すほうがよいのではないかと思います。」

 さすがコミンテルンの陰謀など世迷言を公で発言していた人物である。この意見が正しければ寺子屋などの制度があった日本は家庭教育の土壌がなく、維新後発達した公教育により、帯ることなく洗脳教育が行なわれたと、とれば良いのか?大体、どの家庭や政党も女性を無理に働かせようとはしていまい。

 

 話が横に逸れたが、ナチスドイツが貧困と出生率減少の原因は、ユダヤ金融資本がドイツ国内に大工場を作り、女性を低賃金で雇用したせいだと妄想した。

 妄想の詳しい内容は、低賃金で女性が雇われれば男性も賃金を下げざるをえない。男女双方の賃金が低下しユダヤのみ儲かる。

 また、男も賃金低下や職を失えば結婚できなくなり、家庭が増えない。逆に男性の性欲を満足させる為の性産業は発展するが、健全な国民は減少し文化・風俗は退廃すると考えた。

 そこでヒトラーは「婦人よ家庭に帰れ」というスローガンのもと、結婚し子供を儲ける事が国民の重大な任務だと訴えると、1940年(昭和15年)にはドイツの結婚件数が増え、前年比23%増の944、000件となった。出生率も14.2人から21.9人と前年を大きく上まわった。なるほど、昔のドイツでは良い結果がでたようだが、さて同じ時代の日本ではどうだろうか?その前に上記2件のTweetの続きを読んでもらおう。


「戦前の日本は家督相続制度があり、じいちゃん、ばあちゃんが一緒に住む大家族制度でした。都会に出て仕事に失敗しても帰る家がありました。それが日本人を強くしていた1面があったのです。日本国民が長い歴史の中で作り上げた生活の知恵でした。世代間継承も上手く行われれていたのです。」

「日本は古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのです。しかし戦争に負けて米国占領下で、日本が悪い国だ、日本は遅れた国だという情報戦が徹底的に行われたのです。今戦前に戻るとか言うと嫌悪感を抱く日本国民が多いと思いますが戦後教育のせいです。戦前の日本は決して悪い国ではありませんでした」

 赤い方はさておき、青色をつけさせてもらったTweetは大間違いだ。当時の日本もヒトラーに続けとばかりに、1941年(昭和16年)に田中兵務局長が議会で「女性よ、家庭に帰れ」と演説したが・・・

 戦前の日本が当時、イギリス、ドイツの二倍の乳児死亡率を誇り、さらに戦争中で食糧難と貧困の日本では、食い扶持を減らす為に避妊と堕胎の手段がとられた。特に堕胎は法律で禁じられていたが、一人でも産めば一家心中をせねばならぬほど逼迫した家庭も多く仕方がなかった面がある。

 日本が遅れた国だということは天下万民、あらゆる者が戦前から先刻承知の事だった。だからこそ、当時から戦争が終われば、今度こそ、外国に追いつき、追い越してやろうと誓た者も多かった。それがあったからこそ、戦後の復興が速やかに行なわれたのだ。

 ついでに言えば、古い歴史と優れた伝統というのも間違いで、戦前の明治において古い歴史と優れた伝統とやらは破壊されてしまった。

 例えば明治に作られた神道は、簡単に言えば平田篤胤がキリスト教から天地創造と三位一体をパクリ、天御中主神を中心に高皇産霊神、神皇産霊神を造化三神とした復古神道を考え出した。それを廃仏毀釈をやった神祇院が、宗教体裁を整える為に天御中主神から天照大神にすげかえてネトウヨ言葉で言えばパクリの朴李である。それ以前は本地垂迹が長く続いた歴史と伝統であったはずだ。

 古い歴史と優れた伝統とやらをアッサリ捨て去ることができるのが、日本の優れた伝統と言えるのかもしれない。それによって維新が成ったのである。

 血筋においても同じ様なことがいえる。武蔵国など関東に朝鮮半島からの移民、坂東武者を大量に受け入れた。当時、大和朝廷の財政を支えたのは渡来系の秦 川勝であった。坂上田村麻呂は東漢氏という渡来系であると称していた。少し降って、新撰姓氏録が編纂され、百七十七氏の系譜が記されているが、その内、三割が渡来系と記されている。

 しかし、平安末期なると坂東武者達は源平藤橘を僭称するようになり、坂上田村麻呂の子孫達も祖を同じくしていながら、それぞれの系統で源平藤橘を勝手に名乗り始めるのである。その程度の血筋であり、大したことのない古い歴史と優れた伝統である。


 さて、結局、人口増大計画は大した成果もあがれず終戦を迎えてしまった。(昭和17年時点の総人口8,000万から、1960年(昭和35年)に一億人突破を予定していた)戦前の日本が少子化に対して何かできたかといえば何もできてはいない。

 頭打ちの人口が増え出したのは戦後で、第一次ベビーブームは終戦直後に起こったものだ。第一次ベビーブームの団塊世代の子供が第二次ベビーブームで生まれた赤子で、団塊ジュニアと呼ばれる。

 そして団塊ジュニア世代が、結婚、出産をして第三次ベビーブームが起こるはずであったが、景気低迷などで起こらなかった。田母神がいうように女性が家庭に入れば住む問題ではなかろう。

 戦前の日本では女性が家庭にいたが、貧しかった為に少子化問題は解決しなかったのだ。

 景気対策と、雇用関連、特に片親でも安心して子育てができる環境を作ることが大切だろう。

また、最近、騒がれている配偶者控除や、130万円を超えての厚生年金加入など、論ずるべき大切な問題は多いはずだ。


 そんなに少子化が問題ならば移民を受け入れれば良いと政府が検討しだしたという。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140313/plc14031319260010-n1.htm

 追い討ちをかける様に国土交通省が、日本の国土の4割はあるという無人地域が、2050年には約6割になるという試算を発表した。

http://www.asahi.com/articles/ASG3X4HZYG3XULFA01B.html

 現在の人工は約1億2、700万だが、これが半減して6,350万になるという。終戦後、人口が7200万にちょっとだった日本は、餓死者を大量に出し、食糧自給率100%というありえない数字をたたき出した。食糧難に陥った日本が、自国民を海外へ移民させる棄民政策を行なったことは有名だろう。

 大体、4割の国土が空いていて6割になるというが、殆どが居住できない場所らしい。では、尚更のこと移民は不要だろう。近い未来、食糧難や住居不足になったらどうするのだろうか?移民達の永住資格を取り消して無理矢理追い出すのだろうか?それとも異国の者であることを幸いに殺処分してしまおうというのか?

 大体、自民党時代には食糧自給率45%、民主党時代には食糧自給率50%を目指すのではなかったのか?海外から食糧が入らない100%は無理だが、TPP加入などで45%どころか逆に食糧自給率は下がるのではないのか?

 それとも安い海外産に対抗して大量生産に移行するのか?今まで減反や意図的な農作物の処分などで価格調整し維持してきた高価格をやめても農家は農業を続けてくれるのか?移民より、これらをもっと考えるべきではと思うのだが・・・


 しかしながら自分も時々、心にもなく昔は良かったと口にしてしまうが、田母神以外にも、こんな有名人が、昔は良かったと言い出した。

http://toyokeizai.net/articles/-/33286

 だが、記憶が美化されているだけで、殆どのケースが調べてみると、実際は昔も今もそんなに変わらないことが多い。長屋で助け合うこともあれば、それ幸いと弱者を食い物にする奴だって昔からいるのである。残酷な殺人事件も多い、現在の日本より遥かに多いかもしれない。平井和正が疎開先の子供達に学友を殺されたりと、昔は事件になってない殺人も多い。少女が鋏で赤ん坊の顔を切り刻んで殺したなどの猟奇的な事件は国民の関心を呼び、良く新聞を賑わした。現在よりも恐ろしい時代かもしれない。


 大体、今の若者が戦争を好むというが、そんなネット右翼みたいなのは、昔からいて、司馬遼太郎は当時の右翼青年を、帝国主義者のくせに兵隊にとられることをまるで反戦主義者のようにいやがったことを特徴の一つとしてあげている。山田風太郎も同じ様なこと書き残している。現在の日本で、やれ竹島の為に韓国と戦争しろだの、中国に攻めこめなどというが、そんな奴らに限って誰一人として徴兵制には賛成しない。やはり今も昔も根本的なことは何も変わりはしない。

 極端から極端に走るこの国でリベラルなどというものが育ちにくいのは明白なことだし、左派に魅力がないというが、日本が明治に入り帝国主義になり、70年ちょっとで終戦を迎え、そこから左派の台頭が始まり70年ちょっとになる。中国では王朝体制が変わるが、日本では主義思想が変わる。左派の虚飾が剥がれ落ち、終焉の時を迎えたのだ。


 面白いのは、普段、昔の日本は~とか英霊が~などと言ってる奴に限って寂長の意見に反発してるところだ。昔はなどと記憶にありもしない過去に思いをはせるのは左翼も同じだ。

 左翼が語る戦前、戦中の日本像も、戦後に作られた空想上のものだ。彼らが声高に主張する戦前の日本は、天皇という最高権力者が、わがもの顔で暴れまわり、道端では中国人と朝鮮人がイジメられているといったところか?


 しかし、天皇中心の日本などではなかった。2.26事件など軍部の都合が良い時だけ、天皇の意向は公にされ尊重された。都合が悪ければ天皇が目の前にいようと、東條英機の様に軍人達は自分の意見を押し通した。土台、天皇は権力を持っていた時代でさえ豪族や親族どもに、放火されたり、暗殺されかけたり、戦をしかけられ殺されたりしていたのだ。南北、応仁、戦国と次第に形骸化し、秀吉が九州征伐に出る頃には、京都から来た勅使に対して、秀吉が群衆の前で馬から慌てふためき降りて、天皇という天下人の自分より上の存在がいるのだと知らしめなさなければならないほどであった。

 天照大神に対抗して東照などという神を作らされた象徴的な存在だからこそ、明治になってから天皇という人間が実在することを国民に認知させる為に、(柳原二位局は嫌がったようだが)明治政府は天皇に軍服を着させ、象徴や大神主から地上の最高権力者とし、日本全国を巡幸させたのだ。


 小学校四年の頃、三笠のおじさんがスキーなんかの関係で北海道に来たついでに、家に寄ったのだが、運悪く、ちょうど徳真、タカマサコンビがいる時だった。ソファーに座らず、直立不動の三笠のおじさんに対し、徳真さんは来たのか?と言いタカマサさんが優しく、立ってるのもなんだ、こっち来て座れやと席を譲ったかに見えた。素直にソファーにかけようとする三笠のおじさんを、徳真さんが、突然、手が滑った!とソファーの隣に置いてあった観賞用の(60cm位の)サボテンに向って突き飛ばした。勿論、サボテンのトゲが刺さったが、三笠のおじさんは短い苦鳴をあげただけで耐えていた。

 幸い右手以外はトゲが刺さってなかったので、母がテーブルを挟んで座り、トゲを抜いて治療し出すと、三笠のおじさんの右隣にタカマサさんが座りだし、「タバコ好きなんじゃろ?」とタバコを取り出した。徳真さんも「傷口にはタバコが良いらしな。どれ(治療を)手伝ってやる」とタバコを手に押し付けようとしだした。それを払おうとする三笠のおじさんに対して、タカマサさんが「タバコ好きなんじゃろ?吸ったらどうだ」と口にタバコを咥えさせると、ライターを取り出すが火を鼻の穴とかに近づけたりする。

 イジメのような二人の嫌がらせに、三笠のおじさんは手で払いつつ耐えていたが、ついにタカマサさんのライターの火が手に当たり火傷してしまった。三笠のおじさんは立ち上がり、外に出る為に徳真さんを突き飛ばし「・・・帰る」と一言だけ呟いて出て行った。

 その後姿に徳真さんは二度と来るんじゃないぞ!(足を踏み入れるなだったか?)と怒声を浴びせた後、正枝!塩だ!塩をまけ!と叫んだ。家の母が躊躇してると、なんだオマエはどっちの味方なんだ!と怒るので、仕方なく玄関先で勿体無いと文句を言いつつ母は塩を撒いた。

 TVドラマや漫画なんかで良く聞く台詞だが、実際に塩を撒けるなんて、そうそうに無い事なので私も一緒に塩を撒いていると、三笠のおじさんが戻ってきた。「俺に対して塩を撒いてるのか・・・」と聞いてきたので、正直に答えると「正枝、俺は、俺は悔しい・・・」といって涙をこぼした。

 世間はアル中だの乱暴者だのというが、たかだか老人二人、腕力でどうにもなろうが決して暴力は振るわず、自分の非礼が原因であったので(あの二人に対して、なにかやらかしたらしい)ジッと耐える我慢強くて礼儀正しい人だった。

 この日以来、三笠のおじさんは徳真さんが死んで数年後、自分が高校二年になるまで、まったく姿を見せなかった。高校時代は保守より右翼的な考えを持ってた自分に対し、そんな頭の固い考えに染まっちまって、身動き取れなくなって自殺しちまうぞ!と笑いながら窘められたのに、20代半ばの頃にあった時には、残念なことに考えが逆になっていた。

 ただ、あの時は本心から、あのような考えをもったのか?なんらかの事情があったのではないのだろうかと思う。今のままじゃ、この不況の世の中は良くならないだろ~と、しきりに絡むので

 車輪は一つだと地面に横たわるだけですが、信頼という棒で、もう一方の車輪とつなげば役に立つようになります。それが、もう一組、二組と揃えば、もっと大きな物を運べるようになり、もっと世に役立つものになるのです。貴方の立場でしかできない仕事があります。また、その逆もあることでしょう。国の体制を変えても無駄です。維新から前の大戦が証明してます。それより、今あるものを大切にし、お互いを信頼しあい、その輪を広げと、より良い世の中にしていくことが大事ですと答えた。

「いい事を言うな。けど、誰の言葉だ。誰に吹き込まれた」と聞くので「日蓮大聖人の御書に書かれてる中国の故事が元です。それを少し変えてみたんです」と答えると「いい言葉だと思ったが、よりよって中国かよ。俺は中国とかオリエントとか大ッ嫌いなんだ」「小さい頃から、そんな話ばかり聞かせられてウンザリなんだ」と言ってたが顔は笑っていたので、良い言葉だと思ったのは本音だったのだろう。実際に会ったのは、これが最後だった。

 最期に話したのは電話で、私が肝臓病からくる高血圧で入院するまえのことだった。電話口で苦しそうに○○に騙された・・・俺が間違ってたという弱弱しい声が聞こえた。

 その人物は週刊誌で親子揃って金銭トラブルを報じられた事があったので、それに巻き込まれたのかと思ったが、そういう意味ではなかったようだ。あまりにも苦しそうな声を出してるので、私をからかって遊んでるのだなと思い、私も直ぐ後を追う羽目になりますから心配しないでくださいと答えたが、なんと心無い答え方をしてしまったのか、自業自得だが、最近、仕事中に思い出し気分が沈む。

 結論として、皇族に産まれたからといって人から尊敬されるわけでもないし、絶大な権力を振るえるわけでもない。

 そうやって逆らうのは今の皇族だからだろと文句をいう左翼の諸君もいるかもしれない。ならば、当時の軍部や華族はどう思っていただろうか?

 徳真さんは天皇なんか怖くないんだ。元帥だったから敬うのではない。あの戦争を戦い抜いたからだと徳真さんは言い切っていた。だから、今の皇太子(今上陛下のこと)だって、俺はなんとも思っちゃいないぞとも。

 タカマサさんがアチャーという顔したので、「言えよ、言いたかったら言えば良いだろ」と徳真さんが凄んだが、その時は皇太子なんかに会えるわけないから強気で言ってるんだろ位にしか思わなかった。

 自分の周りの元日本兵達は将校や士官も、みんな昭和天皇より、三笠宮の方が親しみやすいとか、尊敬できるとか、好きだと言う。三笠宮が士官学校から叩き上げなのは有名だろう。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/jinjiotu/jinji13.html


 また、TVでニュースをみていた時に、突然、昔の日本の軍隊が何故、負けたか前に聞いたな。その原因の一つが派閥だ。派派閥争いばかりで何一つ問題を解決できなかった。自民党も同じよ、今に自民党も派閥で自滅するぞと言った。

 その後、派閥争いから飛び出た小沢・羽田に敗れ、気がつけば小泉に派閥を破壊された後の自民党は駄目になってしまっていた。派閥の為に政策を考えるのではなく、議員一人々が政策ごとに集団を作るようになるには早すぎたようだ。政策を討議するために自民党に派閥は、まだ必要に思えるが徳真さんが、この世を去って久しい。やはり、昔も今もそんなに政治家の質は変わらない気がする。

 結論として、左翼が言うように天皇が軍部を指揮できる絶大な権力を持っていれば軍部の派閥争いとやらも深刻にはならなかった筈だし、いろいろな問題点も片付いて日本は早い段階で降伏し、有利な条件で講和を結んでいたかもしれない。しかし、実際はそうならなかった。


 もう一つ、強制連行などがあった中国人はともかく、朝鮮人はどうだろうか?カイカイ反応通信という韓国のネット事情を紹介するブログに載っていた一人の老韓国人の告白だ。

「私は88歳です。もう事実を述べたいです」 - 崔基鎬加耶大学校客員教授
私は1923年生まれです。韓国のためにも、日本のためにも事実を話したいと思います。それにはかなりの覚悟が必要です。命の危険も覚悟しています。しかし、これは私の使命なのです。
私はソウルに住んでいました。時々、平壌や東京にも行きました。当時の韓国人は日本人以上に日本人でした。劇場に行けば映画本編の前に戦争のニュースが流れました。例えば、ニューギニアで日本が勝利した映像が流れると、拍手と万歳の嵐でした。私は映画が好きで、東京でも行きましたが、日本人は冷静でした。しかし、韓国人は全員が狂ったように喜んでいました。それが普通の姿でした。だから親日派という言葉は使うことができません。その使うことのできない言葉を使って先祖までをも批判しています。親切で優しい日本人という印象を必死で消し去るために反日行為を指導者たちは、賞賛してきました。
韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%歪曲しているとすれば、韓国は90%が歪曲です。朝鮮末期の異常な政治腐敗を教えず、日本が関わってさえいなければ、自力で独立できたかのように書かれています。
日韓併合によって「教育」「医療」「工業」「社会インフラ」が整備されました。近代国家の基礎が築かれたことは明らかな事実です。その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物である!」と糾弾する韓国には呆れてしまいます。さらに「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張には反論する気持ちすら失せます。民族産業を殺したのは、朝鮮王朝です。近代化を主張する先進的な思想家は、反逆者として親族までもが処刑されました。韓国人は「日帝の虐待!性奴隷!」と叫んでいますが、私はそれを信じることができません。歴史の真実を知っているからです。朝鮮時代は地獄でした。それは大韓帝国時代になっても同じです。1904年、日本は朝鮮の惨状を救うため、財政支援を決断します。例えば1907年、朝鮮王朝の収入は748万円でしたが、歳出は3000万円以上でした。その差額は日本が負担しています。1908年にはさらに増加し、3100万円を支出しています。現在88歳の老人の叫びです。どう思いますか?


・・・なんというか赤文字で強調した韓国人の姿が在特会などのネトウヨ連中と重なってしまうが、これがイジメられていた韓国人だ。いや、当時は日本人だった。

 ゆうちょ銀行福岡貯金事務センターに朝鮮人名義の郵便貯金通帳数万通が本人に知らされぬまま、ゆうちょ銀行福岡貯金事務センター(福岡市)に保管されている。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2900V_Z21C13A0CR0000/

 朝鮮人労働者の多くは郵便貯金などに給料の一部を強制的に貯金されたがと記事にはあるが、嘘だ。当時の日本は戦費不足により、1938年(昭和13年)4月に国民貯蓄奨励運動が閣議決定されて以来、貯蓄することが国民の義務となり、俸給を全額貯蓄し内職で暮らす人物などが国やマスコミに取り上げられ喧伝された。貯蓄することが立派な日本人の証であった。

 貧しい地方でも村民全員や、役場の職員全員が貯蓄し、必要になった分だけ引き出したり、食事を共同で作る輪番制にして、貯蓄の為に無駄のない共同生活を送ったり、終いには長野県では紀元2600年を記念して紀元3000年まで親子代々400年貯蓄する400年貯蓄や、静岡県では千年貯蓄などが開設された。いずれも満期には大半を国家に寄付するシステムだという。子供が小遣いを集めあい貯蓄する少国民貯蓄というのもあった。まさに、国家全体が貯蓄というシステムに囚われていた時代である。これが良かった時代なのか?

 そんな時代であったからこそ、朝鮮出身の日本人達も競い合って貯蓄をしたのであろう。文玉珠という慰安婦もこまめに貯金していたことで知られている。

 吉見義明の様に公文書以外の証言などを重視し、私見と妄想で述べる事が許されるのならば、彼、彼女らは全員、帝国の為に貯蓄をした模範的な愛国者だったのであろう。

 しかし、今の時代、それが知られれば、彼の国では命取りらしい。文玉珠の証言も二転三転し、日本兵を刺して軍事裁判をうけ1週間後に釈放されたという、少々胡散臭い証言をしだした。身を守る為には仕方がなかったのか?事実ならば記録が残ってるのかもしれないが・・・

  昔は良かったというけれど、色んな物事の過去を振り返ってみると、個人的には・・・どれも良かったとは思えないのだが。やはり思い出だからこそ良く思えるのだろう。