やれと言われてFacebookを始めてみたわけだが、安倍首相夫妻のFacebookコメント欄に消費税を5%から8%に上げたら不況になると主張する者達が雲霞の如く現れて、匿名の怪しい奴原共が安倍首相夫妻を罵るのだが、滑稽なことに皆、口を揃えて三橋貴明、戦後レジーム脱却、消費税5%据え置きと言う。
まるで宗教か、日帝云々とか戦犯旗とかマスコミが珍妙な言葉を作り出し、それを何も疑問を持たずに連呼する韓国人の様である。
そんな輩達が騒いだせいか?株価が一時期14,000円台に落ちた。いやはや8%になるのは決定してた事なのに、あの不思議な連中は何故ああも騒げるのか?
いくらネットDE真実☆ミな馬鹿な奴らでも少しは疑いってものを知らないのか・・・?
と、いうと昔の日本じゃこんな事はなかったのか?と聞かれたら。噂に踊らされたことは何度もあったと言わざるをえない。
豊川信用金庫事件なんかが有名だろう。噂を間に受けた人々が起した騒動だ。これはネットの無い時代だから非常に狭い界隈で銀行も破綻せずにすんだが、もし、閣僚クラスが不用意な発言をし、しかも全国紙で報道されてしまったら!?株価が一時的に下がるだけでは済まない。では、どうなってしまうのか!?
昭和2年3月14日の衆議院予算総会の出来事である。
午後15時、野党政友会所属の吉植庄一郎代議士の質問に対する答弁で若槻礼次郎内閣の蔵相、片岡直温(憲政会所属)が、とうとう渡辺銀行が破綻したと口にした。
渡辺銀行は東京市の中程度の地方銀行で、第一次世界大戦時の好況で調子に乗ったせいか、大量の不良貸付を抱えながらも、なんとか操業を続けていたが片岡の発言により閉業に追い込まれた。
これだけ済んだのなら、まだ良かったが、不信感は他の不良債権を抱える銀行に及び
3月19日 中井銀行
21日 左右田銀行、八十四銀行、中沢銀行
22日 村井銀行
4月5日、三井・三菱と肩を並べた商社の鈴木商店が事業停止、清算となった。
20日には前述の鈴木商店に大量に貸付けていた台湾銀行(紙幣発行権を持つ特殊銀行で頭取は森広蔵)を救済するために枢密院よって若槻内閣が総辞職に追い込まれた。
21日華族銀行とも呼ばれる十五銀行が倒産した。
十五銀行は華族の出資により成立した銀行で島津忠義(薩摩藩主→公爵)を筆頭株主に、前田利嗣(加賀藩主→侯爵)、毛利元徳(長州藩主→公爵)、細川護久(熊本藩主→侯爵)が主な大株主であり、初代頭取には毛利元徳がついた。宮内省御用達になるほどの銀行だったが倒れた。
こうして5月までに37行が休業に追い込まれた。
これらの顛末、田中義一が組閣して支払い猶予令をやったことなんかは宮澤喜一などが平成の高橋是清などとマスコミに呼ばれるので、結構、ご存知の方も多かろう。
作家の中嶋繁雄先生の著書に寄れば、十五銀行の元頭取だった、島津家家臣、松方正義(公爵)の長男、松方厳は大正4年―大正11年に辞職するまで頭取を勤めていた為、責任を感じ、別荘、農場を手放し、家宝の売り立てをした。売り立ての総額は90万(日銀の企業物価戦前基準指数基準だと約5億4千万円相当)となった。Wikipedeiaでは彼が爵位を返上して終わっているがとんでもない。
例えば松方の元主家で筆頭株主の島津忠重(忠義の長男)は預金150万円と所有株の損失をあわせ300万(約18億1500万円相当、本では60億円以上となっている)ほどにのぼり、東京袖ヶ崎(品川区東五反田3丁目)の約3万坪の土地に建つ西洋風邸宅を手放すことになる。
この邸宅、元は仙台藩伊達家の下屋敷で忠重に買われた後、大正5年に鹿鳴館、神田ニコライ堂で有名なイギリス人コンドルが設計したルネッサンス様式の洋館に改修された。(現在の清泉女子大学本館)
翌大正6年の大正天皇、皇后行幸は有名だろう。この邸宅を売り払っても不足だったので、島津家も家宝の売り立てをした。主な物の価格として
松屋肩衝129,000円、柳藤四郎の茶入れ76,000円、瓜虫の図(李迪)38,900円、朱衣肩衝27,300円、梅寿老図(狩野芳崖)23,300円、若狭盆12,900円、長船の名刀11,189円など総額115万円となった。
貴方も何か知らないが実家に有名な骨董品が!とか、我が家は名前こそ違うが○○家の血を引く由緒正しい家柄で証拠に、この宝をor家系図を持っていて―で戸籍調べたら別人だったと。何故、これが我が家に?もしや盗品?ということがあるかもしれないが、いやいや心配召されるな。
こうした家宝を売り飛ばすなんてなんと怖れ多い・・・とか、それは映画舞台のことで、実際には売り立て自体も頻繁に行なわれており、それ以前にも家宝が大いに売りに出され二束三文になった時代があった。廃藩置県の時である。
名刀が数十本縄で纏められたものや唐櫃に収まった武具が1両でも売れず、雨ざらしになっていた時代である。金蒔絵と言えば、近年、フランス人技師が100ポンド(約15,000円)で買った櫃がアムステルダム国立美術館が9億6000万円で落札された話が有名だろう。だが、この時代では作者がされであろうと関係なく金粉を回収しては叩き壊すと言う有様であった。蒔絵の香箱、状函が選り取り一個50銭ほどで買えたが売れず、これも軒下で雨ざらしになっていた。
逆に若狭小浜藩主の酒井忠義は骨董蒐集にまわった。大阪で国司茄子の茶入れを2,000円で買うなど気風の良い買い方で骨董商達の度肝を抜いた。
さて、売る時もあれば買う時もある。これら骨董の価値があがったのが、第一次世界大戦による好況の時代。
大正5年5月16日、7月5日と東京美術倶楽部で2回にわたって行なわれた仙台伊達伯爵家の売りたては総額150万円に達した。
唐物福原茄子57,00円、唐物岩城文琳56,000円、朝陽図(牧谿)55,000円青磁東福寺香炉51,000円の値が付いた。上記の品は大正8年の全盛期であれば倍以上の価格がついたであろうと言われている。
これ以後、華族に売りたてブームが起こり。大正6年5月に上州館林藩主の秋元子爵が、11月に秋田藩主の佐竹侯爵が売り立てをした。佐竹侯爵家の紫縅の大袖の鎧は1万6,100円と武具の新記録となった。
大正7年侯爵(当時、後に公爵)の水戸徳川家、大正8年備中岡山池田侯爵家が、続いて鳥取池田侯爵家も売り立てをする。
骨董品の落札価格は年々上昇しており、大正8年には信州上田松平子爵家、上州前橋松平伯爵家。
特に信州上田松平子爵家の名物片輪車の手筥は法隆寺旧蔵御物と同一品ということで249,100円、時価5億円相当で落札された。大正10年には大正7年の水戸に続き、尾張徳川侯爵家が売り立てをした。
大正12年、ついに酒井忠義のコレクションが売り立てに出された。いずれも名品ぞろいで、以前2,000円で落札した国司茄子は20,000円(約4億円)で落札された。
藤田平太郎子爵(藤田組、現DOWAホールディングスの創業者、藤田伝三郎の子)と野村銀行創業者の野村徳七が激しく競り合い札元の周旋により藤田家に国司茄子はおさまった。
結局は金かと言われる御仁も居るだろうが、大体、江戸時代の大名からして蔵宿という業者に切米という禄米をタネに借金して廻していたのである。
じゃ庶民は?庶民も質屋を日常的に活用しており(質屋は今と違い一種の社交場でもあった)
日本人だから貯蓄するとか、大名とか権力者だから踏み倒すなんてことは微塵もなかった。
踏み倒すのは珍しいから記録に残り教科書に出るくらいだ。ま、詳しくは次回に(といって北海道・東北関連の話も遅れてるが)
正直、こんな日本だ。前述のネットの噂に踊らされる者共が言う国民全員が潤った状態で好景気!なんて状況は来ないし、まず有り得ない。そんなもの待っててもどうにもならないことはわかりきったことだ。
ああいう連中と今回の株価下落を見て過去の事を思い出し、日本は危ないのでは?と思ってしまった。
この手の手合いの輩は 彼らの敬募する(私は思想的にも恩のある方々的にも遠慮しておきたいが)竹田恒泰氏が主宰するニコニコ動画の生放送内で、些細な五輪問題について苦情を言う有様だ。
(慈悲深い竹田恒泰氏は正面から向き合い対処してくださったようだが)
成人して一個人として独立している氏が、まるで親と一心同体の存在とでも思っているのか?安倍首相夫妻の時もそうだが、なぜ首相夫人に消費税の文句を言うのか?五輪問題もJOCのホームページにあるメールフォームや、直接電話をして意見を言えば良いものを、いまだにFacebook上の関係のない記事に苦情を書き連ねているのが、まったく理解できない。
こういった連中がマスゴミなどと騒いでるのを見ると、くだらん事をネット上で騒いで不安を煽るおまえらの方がマスゴミだろうがとか、一行幾らで請け負ってるんだ?と勘繰ってしまいそうになる。
ああイカンイカン、奴らの陰謀病が移りそうなので、今日はここまでとしておきましょうか。