2月9日(金)

辻村深月著 「この夏の星を見る」

積読をふくめ、ずいぶん読み終えるのに日にちがかかった。

今はメガネに、拡大鏡を添えなければちゃんと文字が読めないので、そういう状況から来る、読めなさ、が一番大きな理由だが、この小説になにか入り込めなかった、ということもある。

 

2020年のコロナ禍が始まった時代に焦点を合わせ、様々な制約を乗り越えて、「星を見る」 という目的、活動でつながった、茨城県、長崎県の五島列島の高校生、東京渋谷の中学生が、

リモートを通じて繋がって、若者の柔軟さや逞しさ、天文というテーマのもつ夢の、なにか希望を抱かせるテーマ性もあって、、感動の青春小説に仕上がっている

 

コロナ禍は中高生の学校生活を変えた。 イベントも部活動も、学習も制限された。

窮屈な生活の中から、望遠鏡を手づくりしたり、リモート会議で遠くの生徒同士が仲良くなったり、というあたりで、多くの読者が、感動した、素晴らしい小説と言っているようだ。

若者の可能性を讃えている。 学校はそれぞれ、新しい生活様式なるものに忠実だったようだ

そら、当たり前でしょう といわれるかも。   でも、そうなのかな。

実際に感染者も出ていないのに、他県のお客を止めていると、悪口の対象になったり、他県への移動や、高齢者や虚弱者への配慮から、人間関係は分断されていく。

「びょうきが怖い」 確かに怖いけど、目に見えない恐怖にあまりに素直すぎるよ

病気への恐怖のために、何でもかんでも感染と結び付けて、当時の専門家、といった人たち、政治家などのいうことを、そのまま、あるいはそれ以上に、用心してます、とやたら消毒や、防護壁みたいなものを、見せつけて、そのことが、人の心を傷つけることには、仕方がないと、納得したのか。  それは、時に酷い差別を生むのではないか

 

中学生や高校生に罪はないけれど、だから、読者が感動するのもいいけど、私は、意味のない制限や行為をいっぱい加えて恐怖感を煽ることをした、と思っている。 だから、収まったのよ、という声も聞く。 わからない。 コロナの世での不自由さを、理にかなったものとして、後世に伝わることに、なにか違和感を抱く。