1月26日8金)

京アニ放火殺人事件は、昨日予想通り「死刑」 の判決が出た。

残念ながらというべきか、それ以外の判決は予測しようがなかった

私が、もし、親族が、友人が、親しい愛する人が、この事件で命を落としていたら、重傷を負っていたら、この被告を恨み、憎み、殺してやりたいと思っただろう

残酷で、36人の死亡はあまりにも犠牲が大きい。

でも、新聞報道ぐらいしか知らないが、この容疑者が哀れで、可愛そうで悲しくてやりきれない

 

あなたはこの世に生まれてきて「よかったな」 「楽しいな」 「愛されているな」 と心から思ったことはありますか。 貧困や虐待や、いじめや無視や、多分他人の冷たい目の中で生きてきて、自分が愛されなかったように、他人を愛することもできなかったのではないでしょうか。

誰か、心からあなたを愛してくれた人はいましたか

あなたのことを心配してくれた人はいましたか。

学問的に、心のプロセスは、専門家がきちんと調べ、ある程度は明らかにしているのでしょう。 でも、あなたは、まるで犯罪を犯して、死刑になるためにこの世にうまれてきたみたいではないですか。 たくさんの人を殺して死刑になるために。 なんて悲しい一生なんでしょう。

そんな運命を背負って生まれてきたとしたら、悲しすぎます。

 

青葉被告を治療した医師のことばのように 「これで終わりにしてはいけない。生い立ちやりふじんな背景を理由に、関係のない人を巻き込む事件が起こることを危惧する。どうすれば防げるか、検証が必要だ」  似たような心情で生きている人はいるだろう。

こんな犯罪を犯すかもしれない。 その分かれ道は、案外平凡な日常的なことではないだろうか悲しい人、寂しい人を慰める言葉や行動を、普通に暮らす私たちが、普通に身に着けるようになったら、助かる人もいるだろう。

でも、今は、危険な人に近づかない? 教育が盛んで、みな危険人物にされそうな日常になっているみたいで。  人には言葉がある。 誰かに届く言葉を持っているはずだ。 心をいやす言葉を持っているはずだ。 犠牲になられた方の無念と悲しみを思いつつ、犯罪の一歩手前でとどまれる、人間のふれあいのある社会づくりじゃないかと思う。