6月15日(水)

4月19日に胸や背中が痛くて目覚めV病院に行ってから2か月。眩暈の発作を起こしたり、何かと不調をかこつことが多かったが、それ以上のことはなく、普通に食べ、喋り、笑い生きている。

ましにはなってきているが、別に頑張ることもないだろう。 チンタラでいいじゃない、と。

 

昨週の水曜日から、Y教会の 「聖書の学び」 がコロナ感染防止のための行事等自粛からようやく復活をし再開された。実に2年以上ぶりだと思う。

老人ホームなどに来たら暇になるから、聖書のお勉強だってやりますよ、と思ったのは大いに当てが外れた。 私が外した。

確かに視力は落ちて以前より読書は辛いが、エンタメ小説はそれなりに読んでいる。が聖書は牧師先生がいろいろスケジュールを作って渡してくださっても「ゴメンナサイ」で失礼している。

せめて時間設定で話を聞いたり、考えたりできる 「聖書の学び」は参加しようと、自粛以前にはほぼ毎回出席していたように思う。

取り上げている箇所が興味を持っている「ヨハネ黙示録」であることも嬉しかった。

 

再開で考えた。 もう一度行く?  この際やめる? 80歳って、定年に設定してもいいんじゃないかしら。 体調が悪い中、なんで行くのよ。その頭、その集中力 意味ないんじゃない。

目に見えない信仰心を何で表すかはわからないが、子どものころから触れてきて、私なりの宗教観のようなものが出来上がっていて、それはそれでもういいんじゃないかしら、とか。

昨夜寝る前まで考えていた。 

 

今朝も5時半ごろに目覚めた。ゆっくり時間があって、雨で中庭のラジオ体操はなかったけれど

体育室まで行って、ちょっと器具を触って、メロディーに合わせて体操をして、それから用意をして教会まで出かけた。 結論として、出かけなかったら後悔しただろう。

自分でバカだと思いつつ、どこかに勉強することが好きで、マジメをよしとする自分もまた、80歳を過ぎても変えられない、変えようのない自分なのだろう。

色々あるけど、生きてきたように生きるしかない。年齢とは必ずしも関係はなさそう。