1月17日(金)
今日は阪神淡路大震災から25年。 昨日あたりからテレビも関連の番組が多いし、今日の新聞の一面トップもそれ。 風化させない、とか未来に伝える、とかいうけれど何を、どう伝えるの? 防災、人命尊重、復興の営みのために役立てる、というのはわかるけれど、個人の出会った幾万とおりもの被災体験は集約しようって無理。
そんな気がするけれど。
震災と関係なく、私は私自身の記録(記憶? )のあいまいさにあきれている。
教会関連でちょっと書類に書き込みが必要で、記念日等を思い出そうとしてもさっぱり。
転居に当たって、日記帳も手帳も、古いものはあっさりと捨てた。
記念誌とか、古い住所録とかも大体捨てた。
どちらかと言えば、過去にあまり執着しないタイプ。終わっちゃえば関係ないよって方。
それはいいとしても、最低必要なものがあるっていうの・・・・・・。
さすがに自分の誕生日はわかっているが、結婚記念日、となると、すごく考えて、指を折り曲げて。
夫は亡くなっているから、怒りようもないけど、その夫の逝去した日が、実際には年が(日は11月1日と言う覚えやすい日を選んでくれた) あやふや。 これまた指を折っている。
教会関連の、転入会の日などを考えてもさっぱり。 映像みたいにその場面や人の表情、誰がどんなことを言ったとか、はいろいろ思い出せるのに。
昨日、名前の記憶力はいいんです って書いたけど、年月日の記憶力はさっぱりだな。
これも個人の特性かな。 緻密に記録するという能力にも欠けている。
あ~ぁ、せめて手帳だけでも十数年分あったのを置いておけばよかった。
「アトノマツリ」