5月19日(日)

意味不明みたいな体調不良は、ぐるぐるめまいはないけれど、なんかムカムカ、食べると戻しそう。 外に出る元気も勇気もなく、じっとしていては体全部が弱りそうで、廊下をちょっと歩く。

昨日、娘が様子を見に来てくれた。 名古屋市のはずれの方に住んでるので時間がかかる。

時間の有効利用で、 折角だから、 劇団四季 の夜の部の講演を見て帰るという。

私だって、昔はその程度の元気はあったよな、行動できるエネルギーがうらやましい。

 

グーグルクロームキャストを触っていて(折角だのに滅多に使わない) 

一作年 ? 話題を呼んだ 映画「PLAN75」 に行き当たったので、ラッキーと見始めた。

片付けものをしながらで、特に初めの方はしっかり見てなかったけれど。

 

75歳以上の高齢者の死ぬ権利を認めた「プラン75」が国会で正式に可決された。 という所から物語は進行する。  

75歳以上であれば、無条件に利用できる。住民票もいらないし、家族の承諾も、医師の審査や意見書も必要としない。 申し込み後、10万円の支援金がもらえ、自由に使える。

専属のカウンセラーが話し相手となれるよう、24時間対応のコールセンターがある。

死後のアフターサービス(埋葬や墓のことなど)についても、親切に説明対応する。

78歳でホテルの雑用係の仕事をしていた ミチ(俳優は倍賞千恵子) が仕事も住むところも

失くしそうになり、この制度に申し込む。 結婚歴はあるが、出産時に亡くした子どもはあっても

今は身寄りがなく、仕事を探そうと躍起になるが年齢の壁は厚い。

住む家も、不動産屋さんから敬遠される。  その他、高齢者の現状がミチを通じて画面で知らされる。  そんな中で、街では PLAN75 があちこちで宣伝される

ヒロムという市役所の職員が出てくるが、彼の叔父さんも申込者になり、淡々と役をこなしているのだが、仕事柄か彼の心中や行動が気になってしまった。

こういう仕事につかされたら、公務員は私情を挟めないし、目的に沿って働くことが義務だ

PLAN75に申し込んでも、気が変わればいつでもやめられます。宣伝はあっても勧誘はない

カウンセラーの仕事は、気が変わったり迷いが症いないように親切に誘導するように、とは言われているが勧めるようなところはない。

ミチは最後に麻酔マスクを外した。  ヒロムは半死半生の叔父を自分の車に乗せて連れ出す。

この終わり方は、何を意図するのだろうか。 

 

命は尊いものです。死に向かう行為は何であれ許されるものではありません。

老人は大切にされるべき存在です。 老人を敬いましょう。

建前はいくらでもいいことがいえる。 人間を死に導くことが安易になされてhならないとは思う

だが、正直に言うならば、こんな制度があれば (この映画の通りという意味ではない) 余分な苦しみを背負ったり、犯罪に走ったりすることなく、平穏に生を全うできる、いわゆる助かる人

もいるというのも確かだと思った。 そう思うことも罪だろうか

 

色々な見方や意見があるからこそ話題になったということだが、

「生き方」 を論じる本は、いっぱいあるけれど、死ぬにあたっては 頑張って生を全うしろと言われても。病気の苦痛や精神的孤独にいかに耐えるか、あまり参考になるものはない。

老いの生き方は、たいてい世の中で活躍していた人が、その延長線上で老後を語っているように思う。

 

確かにこの映画のような制度が誕生するのは、そこから派生する事象を想像すると危険だ

死を他人から強制されたり、そんな雰囲気を作られて選ばされる、なんてことになるかもだ。

私が、弱い、あるいは安直なのかもしれないが、私は、「PLAN75」を(そのままということではない)毒物とだけで見る気にはならない。前記したが助かる人もあるだろう。

人間が人間らしく生きるために、自分の手で人生をどう終わらせるかは、委ねられるところがあってもいい。 もっと公に「死に方」を論じても、模索してもいいのに、と思った。