今朝は京都で目覚めた


冷たい朝の空気のなか イノダコーヒー三条店のカウンターで いつものミルクティーとハムトーストで朝食を摂りながら 昨晩の事を思い出したり 今日の予定を繰りなから暫しゆっくり過ごす


昨晩は少し前倒しで誕生日のお祝いをしていただき いつも以上に幸せな京都の夜だった




大概 京都にせよ余所にせよ出掛けるときは和服なので どうしたところが目立つのだと思う その分背筋伸びてるかとか 綺麗に歩けてるか 見た目よく食べたり飲んだりしてるか というのは常に頭の中にある


『常に誰に見られてるかわからない』ということを思いながら行動する…というと神経が疲弊しそうなものだが慣れてきた


格好良く見ていただくと言うことが 愉しいというか 芸者という仕事の性分が身に付いてきたのかと思ったりもする


ただし あの人がこうなのか この人はこうなのか 自分はどうなのかとかの比較はしないことにしている


自分のスタイルが漸くに定まってきた…のかなぁともう数日でひとつ年が増える50代半ばの思い









昨年末そして年明け

幕を引くということを考える出来事がふたつあった

昨年末に40年近く続いた居酒屋が閉店をした

コロナ禍以降訪れる機会も減ってはいたが 年内に閉店をするという知らせを聞き 久し振りに暖簾を潜った

初めて訪れたのは二十数年前 その頃には大学生のアルバイトの男の子が数人 カウンターの内も外も賑やかだった


年月も過ぎ 小柄で美人のお母さん(我々 花柳界の癖でもあり 女将ではなくお母さんと呼んでいた)もいつしか ひとりでの営業となっていた


大晦日を明日に迎える寒い夜 久し振りに熱燗と共にお母さんのおでんを食べた 相変わらす美味しかった


店には大勢の客が名残を惜しみに来ていたそうだが 自分が訪れた夜半近く頃にはそれも落ちつき お母さんと盃を交わしながらゆっくりと話すことが出来た 笑い話に酩酊をしながら


いつしか辿るであろう道だと感じた


自分はちゃんと幕は引けるのだろうか いや引くための支度をしていこうと 決意とまでは行かないが そうぼんやりと思いながら久々の熱燗とおでんを愉しんだ



令和7年の御代も2日目 夜はEテレで新春の芝居中継を視る

夜の部の歌舞伎座は『大富豪同心』正月の歌舞伎座で… 時代が変わったなぁと呟いてしまった良くも悪くも



さて時代は遡り昭和59年(1984年)正月 少年期の喜久次は歌舞伎座に居た

昼の部は
石切梶原
楼門五三桐
熊谷陣屋
連獅子

という番組であった

中学二年生の喜久次が単独で歌舞伎座に何故いたのかはまた別の機会の話として…

このなかで一番の眼目は『熊谷陣屋』だった 当時の人間国宝の役者が4人の大顔合わせ まさに正月の歌舞伎座に相応しい演目であった

十七世勘三郎の 終幕花道を引っ込みのときの 涙と鼻水

六世歌右衛門のしなやかで悲しみを含んだ相模の指先の動き そしてあの声

七世梅幸の気品のなかにも愁いを知る大将義経

十三世仁左衛門は古怪な弥陀六であり 注進にゆく梶原景時を舞台の上で石鑿で仕留めるという珍しい型を見せてくれた

勿論 芝翫もその大顔合わせに相応しい藤の方であった

正月の歌舞伎座というといつも思い出される この熊谷陣屋

その前年の十月に観た御園座は
二代目松緑の熊谷に梅幸の相模 羽左衛門の弥陀六であった



自慢のお話でした