昨日のブログは、私の中で淡々と感じたことを書き連ねました
愛情については表現が難しく、
人に背を向けたことを表現した部分だけはわかりやすく(笑)
恩知らずな女の姿にも見えました、我ながら
でも、私がいい人で終わることが目的でもないし、いいんだよね。
平気なわけでもなく、親孝行したいときには親はなしなんて言葉も浮かぶ
目に入る孝行娘の姿にも反応する
反応を以て、これも生きているってことなんだなあ、と感じる。
タイトルに掲げた墓守娘とは、
私にとても影響のあった著書「母が重くてたまらない~墓守娘の嘆き」からのもので
自分の怒りや嘆きや症状までも、受け入れることができるようになった根源本です
著者の信田さよ子さんは、年齢としては、私達の母世代寄りなのに
淡々と解析し究明してくれていて(結果、救命です)
私も、ここにカミングアウトしているのは、
メッセージとして発信したいことがあってのことなのですが
クライアントさんのこととして発信するのと
当の本人でもある者として発信するのとでは
うっすらした罪悪感拭えず言葉を選ぶ自分がいて、なにぶん分が悪い
でも、私にこういう背景があるんだよということをここに書くことでとりあえず、
これから母子問題や墓守問題について書いていく上で
きっとわかりやすいかなって思っています
ここまでたどり着くのに勇気がいりました
高校時代の同級生(男)が、親が人生のレールを敷いちゃったことを受け入れきれず
ご両親と断絶しちゃってましたが、
その時は、正直、そこまでするか、って思いました
だから、今、これを読んで
そこまで根に持つか、って思っている方の気持ちもよくわかります。
でももしも、似たような生きづらさを感じている方がいたら、
自罰心に苦しまなくていいよ。
私も、ここに来て、日々日々景色が変わってくることに
旅人の気分でいます
とりあえず、一歩、当事者の枠を出てみよう、
そこから出たところでもう一度覗いて、
自分と親の間に横たわっているものが何なのか
そこを見つめて、
どう生きていきたいか、
何を子供に残していきたいか
感じ直してみることは、
物理的な何かを変えられない人でも
やってみる価値があると思いますよ。
みんな自分勝手になれ!
っていうのと
混同されない文章になっているといいなあ