良書のススメ(37) スティーブン・キャラハン先生の「大西洋漂流76日間 A Drift」 | 福島市南沢又のきくや洋品店

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スティーブン・キャラハン先生の「大西洋漂流76日間 A Drift」は、我々と同時代に生きる現代人が体験したインクレディブルな冒険譚であると同時に、人間の意志の強さ、気高さを声高らかに謳い上げた偉大な人間賛歌であります。

 

店主は、1995年7月31日に早川書房より刊行された第5版の単行本を所持しています。

 

 

ブックカバーに記された著者のポートレイトと略歴、内容のあらましを下に接写引用させていただきます。。

 

 

本書の著者、スティーブン・キャラハン先生のプロフィール及び物語のシノプシスはウィキペディアさんより下に引用させていただきます。

 

スティーヴン・キャラハン(英: Steven Callahan)は1952年生まれのアメリカの作家、造船技師、及び発明家である。大西洋で救命いかだに乗って76日間生存したという記録を持つ船乗りでもある。キャラハンは自身の苦難の生還記を『Adrift: 76 Days Lost At Sea』 (en) に綴っている。この書籍はニューヨークタイムズ紙ベストセラーリスト (en) において37週間以上載る程のベストセラーにもなった。

 

物語のシノプシス

 

キャラハンは1981年にアメリカ合衆国ロードアイランド州にあるニューポートを、ナポレオン・ソロ号で出航した。ナポレオン・ソロ号は彼がデザインし設計した6.5メートルのスループで、彼はそれでバミューダまで独力で操船し、友人であるクリス・ラッチェムとイングランドまで船旅を続けた。同年の秋、彼はイギリスのペンザンスからアンティグア島行きのミニ・トランザット6.50の独力操船レースとしてコーンウォールを出発した。しかし彼は、スペインのア・コルーニャで消失した。悪天候のせいで幾つかの船団のボートは沈船し、ナポレオン・ソロ号を含めた多くの船も損傷を受けた。キャラハンは修理してスペインのカナリア諸島とポルトガルのマデイラ諸島の海湾を下る船旅を続行した。彼はアンティグア島に向かう途中にカナリア諸島にあるエル・イエロ島を1982年1月29日に出発した。その7日後、吹き荒れる強風のなか、キャラハンがボートにデザインした防水仕切りのおかげで沈船は免れたものの、彼の船はその夜の嵐の間に何かでひどく穴があき、水浸しになった。クジラとの衝突によりできた損傷ではないかと彼は書籍に著している。
 
荒れた海により水浸しになり沈水したことに因りナポレオン・ソロ号に乗りながらの滞在が出来なかったため、キャラハンは幅約2メートルの6人乗りのエイボン・インフレータブルボートに避難した。彼はその救命いかだの中に独りだったが、海に潜ったり、クッションや寝袋の欠片を修復したり、食料や海図、槍銃、着火装置、松明、飲み水確保のための太陽熱蒸留装置 (en) 、そして海上でのサバイバルに役立つ手引き書でドゥーガル・ロバートソン (en) 著『Sea Survival』のコピーといった、身の回りにある様々な物が入った緊急用キットを補修したりして何度も船に乗って帰ろうと奮闘した。夜明け前には、酷く荒れた海により、ナポレオン・ソロ号は壊れ、キャラハンは漂流した[3]。
 
救命いかだは南赤道海流と貿易風に乗って西方へと漂流していった。乏しい食料供給に飽きた頃から、彼は沈みそうなスループを救難した。キャラハンは「水に生きる原始人のように生きることを学習すること」によって生き残ることが出来た。彼は主に槍で捕まえたモンガラカワハギ科のシイラを食しており、その他にもトビウオや蔓脚類、鳥を捕まえて食べていた。海での生活は1,800海里(3,300キロメートル)もの航海における彼の経験値を高め彼を支える生態系そのものであった。彼は飲み水や雨水確保のために2つの太陽熱蒸留装置や使えそうな装置を使用した。それらを共に使用すれば、毎日平均約500ミリリットルもの水を生成することができるのだ。
 
キャラハンはE-PIRB(非常用位置指示無線標識装置 )や多くの閃光弾を用いたが救助は来なかった。E-PIRBは当時、人工衛星で追跡しておらず、彼がいたのは海の中でも何もないところだったために、航空機に無線が届かなかった。他の船も彼の閃光弾に気付かなかった。漂流中、彼は9隻の船に向かって閃光弾を発光し、そのほとんどは2つのシーレーンを渡ったときのものだった。しかし、初めから、キャラハンは救助に頼れないことは分かっており、それに代わって、いつまで続けるのかわからないが、自分自身を頼って、生き残るための船上生活を維持しなければならないと悟っていた。彼は日常的に運動や操船をし、問題の優先順位を付け、修理し、魚を釣り、改善をし、 そして、食料や水を緊急事態に備えて確保した。
 
1982年4月19日夜、彼はグアドループの南東側であるマリー・ガラント島に発光した。同年同月21日、漁師がキャラハンを沖合で拾い上げ、彼の76日間に及ぶ救命いかだでの漂流は、いかだ上を飛ぶ生態系内での被捕食にあたる鳥を捕まえるのを最後に終わった。サバイバルという試練のなか、彼はサメやいかだのパンク、装備品の劣化、神経衰弱、そしてストレスに遭った。体重が3分の1減り海水による爛れにより、彼は同日午後に地方病院に搬送されたが、その夕方には退院し、その島での療養で数週間を過ごした。しかもその間、西インド諸島中をボートでヒッチハイクしていた。
 
サバイバルの間、キャラハンは一点を指し夜空を「地獄の底からの天の眺め」として描きながら、失った分だけたくさんの積極的な要因を経験した。彼は今でも船乗りや海を楽しみ、そして彼は海を世界最大の荒野と呼んでいる。漂流でのサバイバルにて、彼は非常に多くの沖合での生活の方法や海航方法を見出し、その多くは組員2人以下の時についてのものである。
 
この経験はI Shouldn't Be Aliveの話『76日間の漂流』に著されている。キャラハンの話もイギリスのサバイバル専門家レイ・ミヤーズ (en) のテレビ番組エクストリームサバイバル (en) でも紹介された。
(以上、ウィキペディアさんより引用させていただきました)
 
こうした手に汗握るサバイバルノンフィクションは、やはり実際にお読みになられるのが一番で、内容のあらましは上記のとおりですし、店主としてはこれ以上の無駄口は慎みたいと思います。
 
本書をお読みになられたら、新潮文庫の佐野三治先生の「たか号漂流 二十七日間の闘い」もお読みいただきたいと思います。
 
 
同書に記載されている佐野先生のポートレイトとプロフィールを接写引用させていただきます。
 
 
たか号漂流記も一気に読み切らずにはいられない迫真のサバイバルノンフィクションです。
 
今回、店主は上の2冊を再読して、改めて胸が熱くなりました。
 
広大な大海原とちっぽけな人間の生死を賭した闘い……海よ、なめるなよ。人間は強いんだぞ! キャラハン先生も佐野先生も、のったりと広がる物言わぬ海をそう一喝して挑戦状を叩きつけ、見事に勝利を収めた勇者であります。
 
お二人に、店主はただ拍手を贈りたいと思います(^^)。