行った日の翌日にはアップしようと思っていたのですが、ちょっとサボってしまいました。

そして、ちまちまと色んなところに行ったんで2回にわけます滝汗





4日は、葵祭のヒロイン、斎王代の御祓神事がありました。
↓斎王代。


斎王代女人列御禊神事は斎王代と女人達が御手洗池に手を差し入れて清め、御祓をする神事です。


毎年、上賀茂神社と下鴨神社の交替でおこなわれますが、今年は下鴨神社で行われました。

女人列の家族のテント等があって一般の人が斎王代の御祓を見れるのはごく狭い範囲。

なので、御祓が始まる10時の2時間半前くらいに御手洗川へ向かいました。

朝の神社ってすごく綺麗ですよね★




朝の御手洗川…。カメラーの方々以外見当たらずw
結構見れそうなところがありましたが、川の周りに生えている山吹の枯れ枝が邪魔で写真を綺麗に撮るのは困難( ̄▽ ̄;)



御祓神事が行われる場所の対岸は報道か招待されたカメラマンだけ。
大体9時半くらいからあたりが混んできました。

雅楽が聞こえ、女人列が御手洗川付近に近づいてきました。

が、枯れ枝で見えず・・・。




神主が祝詞を唱える。

が、枯れ枝で見えず・・・。


神主の祝詞長い。

いよいよ斎王代が御祓にむかいます。


スマホのカメラをフルズームにして斎王代を写します。

↓手を水に浸けて御祓をします。

↑その後、斎串を流します。
斎串を流したんかなんだかわかりませんが紙みたいなものを流していました。

立って移動するのも一苦労の斎王代。
介添えのお婆さんが二人ついています。

斎王代が帰っていきます。
ここでやっと斎王代の顔が見えました。
が、やはり遠い笑い泣き





周りのカメラーさんが移動したので流れに合わせて移動すると、境内に規制のロープが張られていて、前に進めなくなっていました。(このとき女人列が斎竹を川に流していたようです。)
楼門の扉も閉まっています。



と、前を女人列が通過しました。


おお~っと思って撮影します。
なにやら女人列が並んで参拝しているようです。

その後、舞殿に一同が座りました。

関係者&報道が回りを囲んでいるので、またもやズームで斎王代を撮します。



斎王代…なるだけで数千万円の金がいることからか、京都に関係のある名家名店寺社等のセレブな家の娘さんだけがなれるという…。
斎王代になりたくても親が金もってないっと候補にもならないのですねw身分の差を感じながらも、というか、だからこそ神々しいのか斎王代。
現代のお姫様です。



報道の囲み取材に笑顔で答え(ているかどうかは報道陣の人壁で全く見えないので想像するしかありませんが・・・。)

その後、すたすた歩きだしました。

よく見ると十二単の裾の部分を歩きやすいように丸めて持ってもらってます。



カメラー少々観光客大多数のレンズを向けられながらスタスタ歩く斎王代。



結構早い。

そして微笑を浮かべカメラ目線(でも、スタスタ歩く)



鳥居を出たあたりで黒塗りのワゴンに乗り込んで去っていきました。

斎王代、葵祭では衣装の端しか見えないと思うので、この見られて良かったです。



続いて午後からは、古武道奉納があり、天然理心流の名前もありましたが、始まるまで待ってられず・・・。( ̄▽ ̄;)



バスでぐーんと移動して大徳寺の高桐院まで。
いつも法事かなにかに被ってしまっていて、意外に来たことが無かったのですが、6月から工事に入るとのことでしたので、その前に来てみました。

高桐院といえば、入り口の石畳が有名です。





庭の木々が綺麗でした。



高桐院は細川忠興(三斎)が、父・幽斎の菩提所として建立したお寺。開山は忠興の叔父・玉甫紹琮。



2日の日に北野天満宮の松向軒写しを見てきましたが、北野大茶の湯の際に北野天満宮の影向松の下に作られたという茶室、今度は本物の松向軒です。






書院の意北軒は、元千利休の屋敷を移築したとも伝えられているといいます。


意北軒の前の庭。


↑の蹲は加藤清正が朝鮮から持ち帰ったという蹲です。



↓細川忠興とガラシャの墓。燈籠の後ろが側が大きく削れたようになっています。

この燈籠は、元々、千利休のものでしたが、豊臣秀吉が欲しい!っと言って取り上げようとしたので、わざと後ろを削って、欠陥品にして、こんな欠陥品を譲れない。っと、断ったという逸話がある燈籠です。


墓の後ろの方から庭の方を見てみました。


とにかく緑が美しいお寺。







葉っぱが赤い楓があって、庭のアクセントになっていました。








大徳寺からふらふら歩いて雲林院へ立ち寄りました。

いまは小さなお寺ですが、平安時代は大きかったのですね~


「伊勢物語」や「大鏡」に縁があり、僧正遍昭にもゆかりがあるので有名な「天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」の歌碑があります。







若宮八幡宮にも立ち寄りました。
ここは源頼光の屋敷跡と言われています。
八重の桜が丁度散り際でした。




櫟谷七野神社は賀茂の斎院があったところの跡と言われているので来ていました。



去年?まではここでもなんか葵祭の神事があったはず。

浮気封じ・別れさせ に利益があって、白い砂利みたいなのをピラミッド型に積むおまじないがあり、お手拭きや祈祷の紙など色々入った「別れさせキット」みたいなのが売られていました、


ご神木がすっごい主張している神社でしたニヒヒ






ちまちまと②に続きます。