天橋立からはSさんの車で帰ってきたのですが、高速道路でビューッと飛ばして、綾部まで帰ってきてもらいました♪
∂`)☆
で、次の日も京都端のほうめぐっております♪でもまだバスと徒歩で行けるところです
最初は、向日神社を目指しました☆
その道すがら、長岡京跡や南真経寺などに立ち寄りました~
電車を降りて西向日の駅からすぐに有るのが長岡宮跡にある朝堂院公園
長岡京は奈良の平城京から桓武天皇が平安京に都を移すまでの間、10年ほど都であった土地です♪
この遷都騒動にも怨霊が関係するのですがあまりにも有名な為、省きます
朝堂院公園には長岡京の朝堂院の西第四堂の礎壇部分と、回廊の部分(一部楼閣部分礎石の位置を再現)
平安京でいう翔鸞楼にあたる部分らしいです。
大極殿公園にも行ってみました♪
宝幢跡、
元旦に行われた朝賀の儀で、四神と鳥日月の7本の飾りをはためかせたところらしいです
駒札にイメージ図がありました。
後殿(小安殿)跡も後ろのほうにありました。天皇が大極殿に御すときの休憩所としてあったらしい。
南真経寺
鎌倉時代の日蓮宗の僧、日像ゆかりのお寺。
開山堂・本堂ともに江戸時代の建物。
鶏冠井(かいで)題目踊りのポスターが貼ってありました。京都府無形文化財だそうです。見てみたいですね~。
「尊性法親王消息翻慴(ほんしゅう)法華経」(開結共(かいけちども)十巻)を含む寺宝は、北真経寺と交互に守っているそうです。
慶応元年に柳谷寺へ参拝する講のひとつ、千眼講によって西国街道から柳谷寺へ向かう西山道(梅ヶ坂)の起点に建てられたそうです。昔は四辻と言われていたそうです。
向日神社。
去年の京都検定にも出ました♪
大歳神の御子、御歳神がこの峰に登られた時これを向日山と称され、この地に永く鎮座して、御田作を奨励されたのが始まりとのこと。
のちに、神武天皇が大和国橿原より山城国に遷り住まれた時火雷大神を祀り、その後、玉依姫と神武天皇も祀り、向日神社としたようです。
東京の明治神宮の本殿はこの向日神社の本殿の写しと言われています
春は桜、秋は紅葉で美しい長い真っ直ぐな参道。
神官の六人部氏は平安時代以来の由緒があるとか。六人部是香 (寛政10年- 文久3年)は幕末の国学者で、孝明天皇の家庭教師だったそうです。駒札には、六人部家に坂本龍馬や中岡慎太郎も立ち寄ったと書かれていました。
ちなみに、前の日、福知山に行く電車の中で今どこにいるのかGoogleマップで周辺地図見ながら移動していたのですが、そこで六人部という地名が出てきていて、ここの六人部さんと関係あるのかなと思ってましたが、駒札に奏氏の出身とあったので、なんとなくそんな感じで縁がある土地なんだろうなと思います。←調べてない(; ^ω^)
もうひとつちなみに、慶応3年5月25日、御陵衛士の富山弥兵衛に殺されたとされている曲直瀬道策は六人部是香の息子だそうです。かなり純血の勤皇っぽいのに御陵衛士が殺しちゃって良かった人物だったのかどうなのかよくわかりませんがそのへんのところはJさんブログを待つことにします。←やっぱり調べてない(; ^ω^)
桜は、例の六人部是香 さんが植えたそうで、幕末には既に商家の日記に花見の様子が記されているそうです☆
桜満開の時に来てみたいですね~。
境内の様子。
舞楽殿
本殿
境内の裏側には「元稲荷古墳」があります。
3世紀後半に作られた大型前方後方墳らしいです。
とりあえず登ってみました。
上になんか建物あった。
元稲荷古墳のしたの方には沢山の種類の桜が植わっています。
水上勉の『櫻守』という小説のモデルとなった方がやっていた桜の園がここにあったけども、近年開発されてしまって荒廃していたのを、地元の方々で整備、桜を植えていった結果、現在のような綺麗な公園になったそうです♪
坂道の脇に植わっている桜は一本一本違う種類で、見ていると楽しい。
桜の時期にまた来てみたいです☆
続く。