第273話
こんばんは
菊水 千鳳です
前回(その6)の日記の続きです。
ㅤこの日、俺とSさんとC君の3人で 東京都日野市の 高幡不動尊へと向かいました。
境内の駐車場に車を停めて、
車外に出ると すぐ目の前に
【弘法大師空海さん】が出迎えてくれました。
(=銅像とか仏像ではなくて霊体としてのリアル空海さん)
僧侶姿でハツラツとした声で、
【今日は3人でよく来たな。
待っておったぞ。
ゆっくりと最後までご覧なれよ】と仰いました。
手水舎で手と口を清め、お線香をお供えしました。
中々 火がつかなくて、俺がそばに立ったら炎がボワっ!て燃え上がりました。
前髪が焦げるかと思いました(笑)。
早速、ご祈祷に参加するため不動尊へと向かいましたが、3時の護摩修行(どなたでも参加できるご祈祷)まで時間があったので、本堂裏にある
奥殿の丈六不動三尊像にご挨拶に伺いました。
真ん中の不動明王像と繋がっている お手綱に触ると、
不動明王
【 手に触れて堪能あれ 】
と言い、触るように促してくれました。
触ってみた感覚は、ジーンとなんだか伝わってきている感じがしました。
丈六不動明王から見て
右側の矜羯羅(こんがら)童子像いわく、
【(Sさんに対し)
子どもの頃からよく来てたな
(全員に対し)
そばの火を見たか
(=お供えした先程のお線香の火の話)
燃え上がらせてやったぞ
お気に召されたかなㅤわはは】
(俺はSさんが幼少期から頻繁に高幡に来ていたことは知りません)
丈六不動明王からみて
左側の制多迦(せいたか)童子像いわく、
【 あれだとすぐ燃え尽きちゃうからな
いかんせん 灰が少なくてな】
(中の灰が少なくてお線香が中々真っ直ぐに立ちにくかったんです)
つまり、中々火がお線香の束につかないのを見て、不動明王が意図的に火をつけてくれたようでした。
おかげで あっという間に燃えてしまいましたw。
護摩修行(祈祷)について
不動明王
【心さだまらぬもの、身体さだまらぬ者を正すからㅤここで見ている】と。
こうして、不動明王とお手綱とは
しっかり繋がっていることが実感できました。
時間がきたので本堂に上がり、ご祈祷を受けました。
ご祈祷を終え、何となく五重の塔が呼んでる気がしたので、早速 向かいました。
今回は源氏さん達が 何故、高幡に来るようにと俺達を案内してくれたかについて、理由など見当がつきませんでした。
歴史的背景など知るよしもなく
ここへ来ました 。
もしや、頼朝さんや義経さんらが俺たちを呼んでくれた理由が、
五重の塔の中で判明するかも?
と期待しながら 五重の塔の建物の中に入りました。
五重の塔の下は休憩所になっていて、そこにも何体かの仏像が安置されていました。
3人できょろきょろと、手掛かりになりそうなものを見て回りました。
それらしきものがありました。
掛け軸です。
これが目に入りました。
この絵に描かれている武将がどなたかはハッキリとは分かりませんが、もしかしたら 日野市(高幡不動尊は日野市にあります)は
源氏、特に義経さんと関係あるのではないかと思いました。
検索してみたら、源氏武士と大いに関係ある武将がいらっしゃいました。
その名は
平山季重(ひらやま すえしげ)という、鎌倉幕府に大貢献した人物。
義経さんと共に大活躍した超大物武将でした!
↑↑ 今回一緒に参拝したメンバーは、俺を含めて誰ひとり 平山季重さんを知りませんでした (勉強不足バレバレです💦)
頼朝さん達は、義経さんとの仲違いが無くなり、 鎌倉幕府樹立に尽くした最大の功労者のひとりである
平山季重さんのことを俺達に知らせたかったがために、高幡不動へと俺達を案内したのだと理解しました。
さすが、頼朝さん、イキな計らいをしてくれました。
五重の塔の下では頼朝さんと、義経さん他の武将達のどなたかが、口を揃えて
【めでたい、めでたい】と言っていました。
ここ(日野)から彼ら強者達の出陣が、平家討伐の再スタートを切ったからでしょうか。
ここでは、簡単に 平山季重さんの功績の一部を書いてみます。
平山季重(ひらやますえしげ)
↓
武蔵国平山(平山城址公園駅付近)で生まれる。
源義経に伴い、打倒平家を掲げて戦った武将。
保元元年(1156)年の保元の乱で武蔵武士の多くが源義朝(=源頼朝の父)と共に戦い、平山季重も活躍する。
平治元年(1159)年、平治の乱で源義朝 (=頼朝さんの父) に従い戦う。
待賢門での戦闘で平重盛の軍勢500騎に源義平 (悪源太) と共に
わずか17騎で戦いを仕掛け、猛者として大いに名を上げる。
しかし、この戦いは敗戦となり、
平家が勝利する。義朝は謀殺される。
治承4年(1180)年伊豆に流されていた源頼朝が平氏に対して旗挙げした際、季重は源義経の配下となって打倒平家に挑む。
義経に従い富士川で戦勝し、続いて常陸へ。
佐竹氏の金砂城を攻め落とした際、季重は熊谷次郎直実と共に、
「身命を惜まず先登で殊勲をたてた」と頼朝から賞される。
木曽義仲を撃つために義経に従い、活躍する。
季重は宇治川の戦いでは敵陣に先頭を切って斬り込み、ライバル熊谷直実と共に大活躍する。
一ノ谷の戦いでは源義経に従い、奇襲部攻撃部隊に参加。ライバルの熊谷直実とともに一ノ谷の平家軍に突入して、勝利に貢献。
屋島の戦い、壇ノ浦の戦いでも常に先陣を切って 勇猛果敢に戦い、勇名をはせる。
奥州征伐の際には、義経を討つという皮肉な運命になってしまうものの、これらの功績をもって「驍勇無双の勇士」とされ、幕府の元老に取り立てられる。
その名は歌舞伎や文楽にも取り上げられている。
(参考文献 Wikipedia 平山季重 より)
このあとの高幡不動寺参拝体験はこのシリーズが終わった番外編として書きます。
涙の再会…感動物語の
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こちらも是非ご参照ください。
その8へと続く。