第254話


こんばんは
菊水千鳳です



ㅤ9月の上旬、スピリチュアル好きな友達4人で京都参拝ツアーに行ってきました。


旅行行程や参拝場所の候補選びを
綿密に計画し始めたのが、8月の中旬でした。

ㅤ先ずはピンと来た
【鞍馬寺】について調べ始めました。

初めて知る情報が満載で
子供のように(笑) ワクワクしながら部屋で調べていました。


スピ友さん達とラインで、鞍馬寺についてどう思うかをやり取りしていました。

 
 夕飯の時間になり、一旦ラインを止めようとした瞬間、白装束を着た一柱の天狗さんの後ろ姿が見えました。

天狗ならではの駆け足で鞍馬山へと帰っていきました。


どうやら この鞍馬山の天狗さん
俺達のやり取りを見ていたようで、その内容の一部始終を鞍馬山へ報告するために帰られたようでした。

俺達の会話が盗み聞きされたようで(笑)、偵察のために天狗さんが派遣されていたのでした。


俺達が鞍馬寺について考え、情報を仕入れていたため、どうやら鞍馬山と繋がってしまったようです。

俺達の思念をキャッチして
天狗さんがこちらの様子を見に来たようでした。

天狗さんがいらしていたことを
リアルタイムで直ぐにスピ友さんに知らせました。


 夕方、俺は外へと夕飯を食べに行きました。
食べ始める直前、割り箸を持ち上げた瞬間、背後の右隣に何者かの気配を察知しました。


波動を確認すると驚きました。


源義経さん ご本人でした。
初対面です。

義経さんは幼少期に鞍馬山で暮らしていました。

【鞍馬寺と言えば 源義経さん】の
名前が出てくるほど知られているようです。


義経さんがご挨拶がてら
こう言いました、

【菊水千鳳殿よ、
京都まで来られる中で鞍馬寺を選びなさるのか?

もしそうであるなら
大変嬉しいことぞ

数ある場所の中から選んでくれるというのか?

アッ、いや わしらのいるここが他よりも劣っているという意味で言うているのではないぞ】
と驚いた様子でした。


この時は義経さんはこう言って
直ぐに鞍馬山へと帰っていきました。


ㅤ数日後、部屋にいたら
今度は源頼朝さんが現れました。

(頼朝さんとは、今から5年ほど前に東京の荻窪にある【井草八幡宮】で初対面をしてから度々お付き合いさせていただいております。) 


どうやら頼朝さんは、弟である義経さんと、長い間 仲たがいをしているようでして、今回の鞍馬寺参拝では義経さんとの間に俺達が入り、 仲直りの仲介役として働いてくれるのではないか... 
そうみてくれているようでした。


以下、源頼朝さんからの
メッセージをそのまま書きます。↓

【昔の言葉より、今の言葉のように より分かりやすく丁寧な言葉として(菊水殿に)伝え直そう

(義経さんについて→)
思った通り立派な役を成してくれた 

あの戦が無かったならば
いかに源氏といえども
そうは簡単には落とせなかったであろう

今にしてまで優秀たらんと仕事をなしたもうたと語り伝えられておる


この話 (=このメッセージ内容) に
どれだけの人が向かってくれるだろうかの?
(=関心を寄せてくれるかの?)


(義経さんについて→)
無責任な振る舞い、勝手に (天皇から) 官位?を受けて、好きなことばかりしよったからの

掟をどう見ておるのか 
(噂に) 聞こえることは
益々ぼうい?(暴為?不本意?)なことばかりじゃった

こうしてはおれん
と、(ワシは) やけになってしまったのじゃ

人事(じんじ) 人のために済まされんことを繰り返されては 
もう後には引けんことじゃろ?

誠に致し方なかったことじゃ


繰り返さないためにもどうしたものか?と思いあぐねていたんじゃ 


もう、とやかく言うには及ばん
この長きに渡って (心に) つっかえていたあの頃の実情 
及び言葉にならぬ切なき思い

願わくばここにて終止符を打ちたく思うのじゃ
(義経も) 心を痛めておるに違いない

今だ心に通ずるものがあろうからに
願わくばそうしたく (=和解したく)思う 

この場に居合わせておらぬが
あちらに (出) 向いたらでいいから
ワシの気持ちをそのまま伝えておくれ 
期待しておるぞ】と。


ㅤどうやら頼朝さんは、
この機会に弟である義経さんとの間に出来た確執に、終止符を打ちたい様子でした。


そしてこの翌日、入れ替わるようにして今度は義経さんが部屋に現れました。


【昨日は慌ただしいとこ
お騒がせしてすまん。
(=昨晩、俺が忙しい中に少しだけいらしたらしい。)

誠に仰せられる通りだ
まだひとつも相違ない

(鞍馬寺に参拝に) 来たからには
無性(むしょう?)となりて
このような結果に至ってしまったことを重ねてお詫びを申し上げたいのじゃ 

またこのような身体(みからだ)になりて
ようやく自分の意思を伝え申せることが叶うとはのう
お喜び申し上げるぞ 


ㅤ人 悔いのないように一生を終えることはㅤ世に於いては朽ちていく体を脱ぎ捨ててからも悔いを抱くことありて 誠に悔いのない生を全うすること

これ 安らかなる地 (=あの世) に至りて再び生を授かり行くこと
綺麗さっぱりと生まれ変わることができよう

されど我はこの世の育成のために
この身のままを生きて暮らしておる 

(兄上とは) 通じ合えぬ想いを抱いたまま 語ることなく今に至る

人の思い 通じ合わねばなるまいて (通じ合えるならば) 語らいののちに非を見いだすこともできよう 

そうしたやむを得なかった所存
もはや取り返しつかねども
またいずれ肩を並べ共にできることを願っておった

(兄上に対し) 非常に無礼申した

しっかり成すべきであった
人の意を受け止めんかった

成すがままに成した

しかと反省している身である所である

想いこがねて至る今
世にありて人と(共に)成すこと
これ大事なり 

(あの頃に)今一度 
遡れるならば(=やり直せるならば) 
きっと上手くやり遂げれるだろう


まさか、この機会に(兄上からの)
申し付けがあろうとは!

この機会 
誠に敬意をもって慎んでお待ちいたす

舞い上がる気持ち 
押さえ込むのが難しいぞ 
かたじけない 


この機会 有り難く頂戴いたす

あー 御仏なり】 



文章が長くなるので、次の日記で
続きを書かせていただきます。