第250話

おはようござまいます
菊水千鳳です


富岡八幡宮での痛ましい事件。

その知らせを聞いたのは
事件が起きた翌朝でした。

この時、俺は夜勤日勤と仕事をこなしていました。
ニュースを見る暇はなく、
翌朝 一報をスピ友さんから聞きました。

大変驚きました。


ㅤ案の定、八幡神(はっちゃん)が
早朝、すぐさま俺の仕事場にやって来ました。


会うなり、こう叫んでいました、

【くっそー!悔しい!
何たる不覚!】と。

やるせない思いで一杯なのと、
防げなかった悔しさが見てとれました。

こんな表情の《はっちゃん》は
初めて見ました。


神社への不信感を持つ人々が増え、
神様を信じているのに
人を平気で殺すのか?って
疑念に思われるのを危惧しているようです。


《はっちゃん》が言いました、

【人間の心を穏やかにするのも
荒々しくするのも本人次第。

本人の意思に基づき (良き心を)
育まねば、ワシらの出番がないんだよ】と。


《はっちゃん》が意気消沈しているのを哀れに思い、
《はっちゃん》に久しぶりにパワーを注入することにしました。
仕事中でしたが、注入できました。

本来の《はっちゃん》のパワーに戻すためです。
パワー注入している最中、
俺の腰にしがみついていました。

俺は神々にパワーチャージしたり、万が一 傷付いた霊体にヒーリングすることができます。
 
接触するほど、パワー注入は容易になるんです。


《こんな事件が自分の所で起きてしまうなんて
他の神社に申し訳ない》
っていう意思が伝わってきました。


パワー満タンになったとき、
《はっちゃん》の指先から
白い稲妻のような光がプラズマのようにほとばしり出ていました。


チャージ成功です。


《はっちゃん》いわく、
【余りある至高の力に感謝する】と。

元気満タンになった《はっちゃん》は、こうして立ち去りました。


《はっちゃん》の言葉から学ぶことは、
いくら神々が真剣に語りかけても、本人が意識を向けないならば、導きのサインを見逃してしまうということ。

何かに囚われすぎると、
どんな人でも低級霊や敵側の悪神の手に落ちてしまうこと。

人は見かけによらない、とは
このことなのでしょうか。




あまり一般には知られていない、《はっちゃん》の様子等を、
以前 別のサイトに投稿していた
日記がありましたので、
次回 編集し直してこちらにご紹介いたします。


注) 今回の《はっちゃん》は
応神天皇としてではなく、
八幡神本体としてお越しいただきました。

 
♢♦♢♦♢ 
 いつもご覧いただきありがとうございます。
不思議だと思われるでしょうが、
見えたり聴こえたりする話しは
事実なので、ご家族、お友達、
お知り合い、ご興味のある方に
ぜひ話してあげてください。
リブログも大歓迎です。
どうぞよろしくお願いします。
 ♢♦♢♦♢ 

不思議体験日記のバックナンバーはアメブロ
a-riman666に掲載しています。
こちらも是非ご参照ください。