第230話


こんにちは
菊水 千鳳です


 つい先日のことです。
夜勤をしていたら突然、目の前に【 烏枢沙摩(ウスサマ)明王 】という仏様が、仏像の姿で現れました。

目の前に現れた姿はこんな感じでした。


仕事中だったため、集中したり声を聴くタイミングではありませんでした。

烏枢沙摩明王とは、
通称【トイレの神様】とも呼ばれ、モノの穢れを浄化する仏様として有名です。

実際に俺が見たのは、それはそれは凛々しい男神でした。
女神様ではありませんでした。

家に帰ってからメッセージを伺おうと思い、部屋で烏枢沙摩明王をお呼びしました。


 
 烏枢沙摩明王が目の前に姿を表し、こう言いました、

【私をこうしてお呼び立てしたのは    私の真夜中の訪問のためか?

(全般的な意味で) 汚れを払うことは、大きな成功に繋がる

苦しいときは部屋が汚くなったとき

(建物や住まいの)トイレ掃除がおろそかだと幸運が逃げてしまう恐れが発生する

幸せを掴みたくば
身の回りの整理整頓をこなすと良い

晴れやかな気持ちになろう


先ずはあらかた回りを片付けてしまえば 特段 綺麗に (片付けを) よぎなくする必要はなくなるだろう

(俺に言ってる→) 神も仏も
さほど違いはないぞ
まだまだ先が長い これからだ 行くぞ

ホントに見間違えるほどになったな?
あんとき (以前、私に会ったときソナタ) は戦にまみえる手だてしか見えんかったからな
役柄のせいだろう


今日は久しぶりに参った 
さあ、本題に入ろう


どこのお宅にも事務所にも
形が違うがトイレがある

いつも清潔なトイレにするためには文字通り手間がかかる 

されどトイレは非常に便利だ 文字を確認してみるがいい


【便】とはすなわち排泄物を指し
【利】とはすなわち都合がいい自らのためになることを意味するだろう?

トイレ掃除が、物事の良し悪しを決めるところにまで発展することに繋がりやすくなっているからな


驚いたろ?
この技(ワザ)が本物か 

私が言うことに偽りはない


しっかり清潔に磨かれたトイレは邪気までが綺麗に流れ落ちていく 

邪気をためこんだり
吸い取りやすい人は
夜明けのトイレで身を清めることを望む
 
相当 (排泄物が) 出ない人には
その時々により清めることができる

排泄物とは万物の終わりであり 行き着く場所は自然に帰ることだ 

この身に取り立ての野菜・果物を随所にとると良い
 
焼き肉を食べるときは
野菜・果物もとるようにするといい

またしっかり排泄物を出すように

そして 必ず流すように


この事を自ら徹底して行うならば あとは幸いが付いてくると言ってもいい環境ができる

素晴らしいことを聞いたな?


今更ながら こうしたことは
幾つもの日にちが経った後にも(そうじが) 続いておるかが問題だがな

あと    見た目を綺麗にするように 

トイレを第二の故郷だと思う程にでもなれるといい

ドアは開けっぱなしではいかんぞ

次に入ってくる人のための
気持ちを考えてやるといい


綺麗にすると
いいアイディアが浮かんだりするだろう


うむ しっかり書けたな 
今日はこのくらいとするか

それではまた  次の機会にな 
また会おう】と。



こうして、2年半振りの来訪者は去っていきました。

邪気を焼き付くすかの如く
燃えるようなオーラと
そして幸せを掴んで貰いたいという
慈悲深き余韻を残して…。


何かカッコ良く去っていかれたような(笑)



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