4月12日金曜日〜その9




第64代横綱 曙太郎さんの訃報。合掌。そもそもの御縁は、曙関の名付け親であられた大阪市天王寺区のザ・ちゃんこ 萩原本場所の萩原常弘社長にお誘いを受けて、S63年6月30日に名古屋国際ホテル 2階 国際大ホールでの『東関(元 高見山)部屋を励ます会』に出掛けた際、舞台で長身の大海(当時の四股名)という力士のパフォーマンスを目にしたのが最初。直接の対話はなかったが、それが曙関との出会いです。




(写真)H2年2月26日、大阪市中央区宗右衛門町のホリディ・イン南海大阪で開催『河内家菊水丸 河内音頭生活15周年 プロ活動10周年 記念パーティー』。右から、曙関の名付け親の萩原常弘社長、桂文福さん、元関脇高見山の東関親方、私、元幕内大雄の甲山親方、元関脇青ノ里の立田川親方。この日、東関親方が新十両の曙関をお連れ下さいました。これが、本格的な交流の始まり。


(写真)H4年2月27日、悲田院町の東映ホテルでの『世界に翔く!!河内家菊水丸’92 春のディナーショー』には、大関となった曙関が駆けつけてくれはり、感謝感激。
(写真)其の年の大晦日『第43回NHK紅白歌合戦』にゲスト出演した私は「審査員ホメ殺し音頭」をご披露。♪目指せ横綱!曙関〜と河内音頭に詠み込みました。「紅白で菊水丸さんが歌って下さったので横綱になれました」と、嬉しい事も言うてもらいましたなぁ。


(写真)H5年3月6日付、夕刊フジの掲載記事。横綱昇進のお祝いに、大阪市平野区 大念佛寺の東関部屋の宿舎での朝稽古後『曙太郎物語』をご披露したのです。此の作品をCDアルバムに収録することを約束。YouTube『河内家菊水丸公式・岸本家のアーカイブ 75』にアップロードした「曙太郎物語」は改訂版。
(写真)場所後、萩屋本場所で曙関と会食。ハイヒール・リンゴちゃんも合流。

(写真)時は流れて、H16年12月8日、毎日放送ラジオ『さてはトコトン菊水丸※12/8ON-AIR分 USJスタジオ』にゲストでお越し下さり、久々の歓談。

(写真)H17年12月8日、毎日放送ラジオ『さてはトコトン菊水丸※12/23ON-AIR』年末ゲストとして、2年連続での出演。これが、曙太郎さんとの最後の対面となりました。