11月19日日曜日〜その4




P80〜81には、笑福亭松葉※七代目松鶴さんの人となりが伺えるエピソードが出てくる。




(写真)H6年8月、右首にしこりを感じて入院された松葉さん。退院された直後の10月に始まったのが、桂南光さんと松葉さんの司会による関西テレビ『痛快!エブリディ』。私は「男が喋りでどこが悪いねん」の当初のレギュラーでした。前番組に引き続いての企画コーナーで、やしきたかじんさんが抜けた後のポスト。荷が重く、諸先輩方とのバトルトークに入る余地は無し。同時期、ラジオ大阪『どんどん歌謡曲』がスタート。こちらは、メインパーソナリティだったので喋りまくっていたのです。それを偶然に松葉さんが聴かれたようで「気持ち判るわ…僕もあんたと似てる。自分の領域なら自由に喋るけど、人の話に割って入るのは苦手や」と言うて下さった事があり、番組を離れてからも松葉さんの体調を案じていました。H8年9月22日、中座での七代目笑福亭松鶴襲名披露興行の当日に逝去。私のスクラップ帳の記事は、同年1月12日付、毎日新聞・夕刊。