11月7日火曜日〜その2




3時半に休眠。




6時45分、目覚める。ねじめびわ茶、キリンのやわらか天然水、のむヨーグルトで喉を潤す。金平茂紀 著『二十三時的』P205〜207、日本赤軍の最高幹部・重信房子氏の長女メイ氏との対談を読み、驚愕した。湾岸戦争前、日本の商社関係者達が人質になった時に、何と重信房子氏らが解放に動き、タリク・ミハイル・アジズ外務大臣と日本人が帰れるようにと交渉を行っていたとのこと。その後、社会党のミッションがイラクへ行き、フセイン大統領と唯一の会談経験のある中曽根康弘元首相が人質解放のためにバグダッド入りした。が、しかし、全員の解放には至らず。H2年11月30日〜12月5日、参議院の燃える闘魂 アントニオ猪木議員が立ち上がる。イラク ナショナルシアターとフセインスタジアムで『平和の祭典』開催を提唱。




(写真)河内家菊水丸一座も音楽の部に出演。これは、行きのトルコ航空機 チャーター便の中で、スピーチ替わりにアカペラで河内音頭を歌って、猪木議員が手拍子で盛り上げて下さった一幕。

(写真)トランジットを重ねて、35時間をかけてのバグダッド入り。

(写真)ナショナルシアターでの『平和の祭典』音楽の部に出演。此の間も猪木さんは人質解放交渉に汗を流す。全員解放に繋がるドキュメントは、YouTube『河内家菊水丸公式・岸本家のアーカイブ 』に4回に分けてアップロードしております。
それにしても、H14年11月25日に刊行されていた『二十三時的』。未読ゆえに、重信房子氏の件は、33年の間、全く知らなかった。