9月21日水曜日〜その8




1年2か月に及んだ、河内音頭裁判。傍聴券に列が出来たり、法廷で私自身の節と鉄砲光三郎氏の節を歌い分けて、その違いを裁判長に聞いて頂くという前代未聞の展開に発展したことなどを振り返って、暫しの懇談。長い歴史の中で、法廷にて河内音頭を歌ったのは私だけ。勝利を確信した裁判も、鉄砲氏に節を伝授した人々は既に亡くなっていて、周囲の証言を揃えたものの、テープレコーダーもビデオも存在しない時代の壁に阻まれ、確たる証拠が揃わずに、敗訴も覚悟したが、事情を把握された裁判長の温情を感じる痛み分けの和解で決着。改めて「先生、私はこの約20年間で勝訴するための資料を集めています。それは継続中です。角度を変えて、もう一回、提訴したいと考えはございます」と宣言。12時25分、二人で事務所を出る。フェスティバルタワー・ウエストヘ移動。




(写真)2階 福吉兆で昼食。裁判中は、私の10年間のラジオ時代。早朝6時〜8時の生放送を抱えていたので、住んでいたホテル阪急インターナショナルの部屋で仮眠をとった後、大江橋法律事務所で打ち合わせ。平野弁護士との北新地での遅めのランチが私の夕食だった事を思い出す。懐かしい。