3月25日金曜日〜その7




(写真)『さよなら THANKS AND GOODBYE! PAUL MAURIAT JAPAN TOUR 1998』〜緊急対談「Merci Paul, Adieu Paui!−ありがとうポール・モーリア、さようならポール・モーリア−」北川隆一・山田篤「MERCI PAUL, LETTER A PAUL〜ありがとうポール、ポールへの手紙〜全国の熱心なポール・モーリア・ファン20名の皆さんから"さよなら公演"にあたり、ポールヘの手紙が寄せられています」岩手県 照井伸尚/仙台市 見上透/福島県 渡辺輝/茨城県 上妻勝一/前橋市 島崎好弘/埼玉県 都築一雄/船橋市 小渕隆志/東京都 原田幸恵/東京都 森下修/東京都 笹淵正一郎/東京都 南林光宏/瀬戸市 横山比登美/愛知県 滝隆宣/福井市 大六真哉/大阪市 福力芳枝/茨木市 斎藤純子/大阪府 辻大/大阪府 辻明見/伊丹市 井上恵子/姫路市 河野文英(KYODO)も読みました。此れで、河井哲治・琴美夫妻に御寄贈を頂いた、ポール・モーリアさんのパンフレットは全て読了で有ります。S52年〜54年まで通ったコンサート。翌年、河内音頭のプロ活動を始めたので、日々慌ただしく、H8年まで足が遠のいていた間を埋めるように、河井夫妻旧蔵のパンフを興味深く読み進みました。感謝御礼。

(写真)ラストコンサートは、このチラシを見るやいなや、吉本興業 小野さんに連絡を入れて、チケットを手配して頂きました。 11月21日の14時45分に厚生年金大ホールの正面玄関で待ちあわせて、関係者入口から1階 A列40番の席ヘとご案内を頂いたのです。

(写真)プレス用の演奏一覧と新譜情報。


(写真)実はこの日の私のスケジュールは、15時開演の『さよなら』公演を拝見して、終了予定の17時半に会場を出て、車で毎日放送ラジオヘ15分で移動。18時半に『冬眠返上菊水丸』の生放送に出演と云う段取りだったのです。ところが、翌日のスポーツニッポン掲載記事にある通り、主催者のサプライズとして、京都・祇園の芸姑による「手打ち」が延々と続き、40分遅れで開演。私はポール・モーリアさんの最後の公演を最前列のど真ん中の席で、退場時間を気にしながら拝聴することになりました。デッドラインは17時45分。全曲の演奏が終わり、熱烈なアンコールの拍手の中を立ち上がり、一目散に出口を目指して走るハメとなったのです。たぶん、私の姿を目にした人は、クライマックスで大盛り上がりの中を帰るとは何事ぞと思った事でしょう。しかし、私にも言い分が有ります。サプライズを行うのなら、翌日の京都会館の公演の後、お茶屋さんへポールさん一行を御招待して、プライベートでもてなしてこそ、粋なサプライズだと、今でもそう思っているのです。おかげでアンコールが聴けなかった上に、道路は渋滞。こけつまろびつ、まれびつこけつ、本番ギリギリに局入りする事態となりました。振り返るだけでも冷や汗が出ます。ちなみに、終了予定の17時半は、事前に主催者に問い合わせをして確認した時間です。
(写真)5年後、後継指揮者 ジル・ガンブス率いる『Paul Mauriat GRAND ORCHESTRA JAPAN TOUR 2003』を拝見しましたが、存在感のあるポール・モーリアさん不在のステージは、やはり淋しく感じた次第です。
(写真)H18年11月3日、フランス南部ペルピニャンで永眠。訃報を伝える記事への赤線は、毎日放送ラジオ『さてはトコトン菊水丸』の芸能情報で取り上げた際にひいたものです。私は『恋はみずいろ』の再録音版ではなく、オリジナル音源が一番好きです。次に『エーゲ海の真珠』。そして『妖精コマネチのテーマ』、『真珠とり』、『恋のアランフェス』と続きます。