6月19日土曜日~その16




『スローカーブを、もう一球』~「八月のカクテル光線」、そして名作「江夏の21球」を初めて読む。S54年11月4日、大阪球場での近鉄バファローズvs.広島カープの日本シリーズ第七戦。NHK特集『スポーツドキュメント 江夏の21球』として、テレビ版は何度も見ている。




(写真)S60年4月~10月、ラジオ大阪『近鉄ナイタージョッキー』にレギュラー出演。試合が雨天中止,或いは早く終わった時に放送する番組で、花形選手を題材とした「猛牛河内音頭」シリーズを制作したのです。山際淳司さんの小説に出てくる、羽田耕一選手と平野光泰選手の事も歌い込んでいますが「江夏の21球」については触れていません。私が初めて始球式を務めたS62年7月10日、藤井寺球場での近鉄戦でKBSとサンテレビのナイター中継にゲスト出演して、解説者になられていた平野さんと並んで座っていましたが、CMの間の雑談中「21球」の話題については持ち出しませんでした。と言うより、まだ知識になかったと思います。


(写真)何より石渡茂選手がスクイズを外されて、三塁ランナーの藤瀬史朗選手が走り込んで挟殺される。これが伝説の名場面ですが、20年程前に近鉄百貨店の古家部長(当時)からのご招待で、大阪ドームでのバファローズ戦を観戦した折、ご案内を頂いたのが藤瀬さんでした。試合終了までホローして下さっていたのに「21球」について質問した記憶は有りません。昨年1月24日、大和高田市大中の経済会館で開催された社会人野球『令和2年大和高田クラブ新年会』の控室で、21球に登場する佐々木恭介さんには、其の日の見解をお聞きする事が出来ました。
(写真)S54年11月4日「江夏の21球」の日、高校2年生の私は何をしていたのだろうと調べてみますと、新世界のジャンジャン横丁 松竹芸能の新花月で河内音頭界の先輩 山中一平師のギター伴奏者として出演していました。中トリなので、14時と18時出番。土・日・祝日以外は、学校は早退していたのでしょう。夜の部が18時20分下り。帰りは一平師の車で送ってもらっていたので、いつものように阿倍野入口から阪神高速に上がったと想像します。19時頃、右手に大阪球場のナイターの明かりが見えたはすなのですが、日記には何も出てきませんでした。