5月22日水曜日



西瓜を食べながら、外題を執筆。入浴。水分補給は、ねじめびわ茶、オロナミンCドリンク。食塩無添加 ナチュラルナッツを摘まみて「世紀末思い出し笑い」林真理子(H11年2月20日文藝春秋)を読む。5時に休眠。



11時、目が覚める。びわ茶、Dole GRAPEFRUITで喉を潤す。執筆中の河内音頭「登米の七十五人力※仮題」に手を入れる。リーガロイヤルホテル TSUNAGI チョコレートを舐める。12時半から14時45分まで二度寝。桜井甘精堂 純栗かのこを食す。「世紀末思い出し」を読み、大相撲中継を少し視聴。16時より17時50分まで三度寝。宅配便を受け取る。首のストレッチ。腕立て10回。四股10回。体重67・2キロ。飲料は、カルシウムが摂れる低脂肪乳、ピルクル Amino、農協 39品目の野菜&フルーツ、100%アップルジュース、松谷化学 希少糖含有シロップ レアシュガースウィートを加えたアメリカン珈琲。鹿野養蜂場 栗蜜を口に含む。HDDをチェック。雑事あれこれ。20時45分、夕食。献立は、昨夜の残り鍋。黒影米入りご飯、井坂酒造場 酒蔵漬、桃屋の花らっきよう。アーモンド効果 TASTYを一気飲み。雑事いろいろ。



(写真)元吉本新喜劇の座長 木村進兄さんがお亡くなりになりました。なんば・うめだ・京都の劇場で月に10日間、河内音頭を口演していた時代、何度も出番をご一緒しています。日記帳を紐解きますと、S57年12月11日、私の知人が生野区大池橋にスナックをオープンした折、歌とお喋りの2回ステージを進兄さんへお願いした事が綴られています。プロ活動2年目の若手の申し出にも快諾を頂き、京都花月の出番を終えて,阪急電車で梅田まで急いで来て下さいました。そして、私が運転する車で移動。普段は物静かなお方ですが、店に到着しますと、楽しいトークと得意の喉をご披露して、あっという間に店内はアットホームな雰囲気に…。休憩時間、近くの焼肉店でお食事をスタンバイしている旨を申し上げると「菊水丸の知り合いの店やろ…気を使わせるな…お客さんの席へ行って相手をしてるから」と、写真を撮ったり、サインをしたりと大サービス。勿論、好きなお酒を美味しそうに飲んではりました。2回目のステージも大盛
り上がり。「お食事も摂らず、休憩も無しで申し訳ない」と、お店の方が御祝儀を出されたところ「菊水丸、取っとけ」と、私にくれはったのです。帰りの車の中で「お兄さん、3万円も入ってます」と報告するや「遠慮するな、俺は顔さえ出したら何時でも金になるから」と仰り、シートを倒して高鼾。北区扇町のマンションへ送り届けた次第です。当時、1万5千円の風呂・トイレなしの四畳半アパートに住んでいた私にとって、どれくらい助かったか…。偶然、先週の17日に帝国ホテルから有馬温泉へ向かう道すがら扇町を通りました。そう言えば、35年以上前に木村進兄さんを送って来たのは此の辺りやなぁ…と思っていると、レンガ色のマンションが目に入って感動したばかりです。来週のスポーツニッポン連載「菊水丸店主 珍宝堂」に木村進伝説を書きますが、別のエピソードを此処に記しておきましょう。それは、或る新喜劇の看板の方が往年の映画スター公演への出演が決まっての舞台稽古でのお話。軽く手合わせの積もりで刀を持っていると
、映画スターは容赦なく脇腹を目掛けて打ち込んで来たのです。うーん…と唸ってあばら骨を砕かれての病院送り。代演で出たのが進兄さん。同じ様に脇腹を目掛けて打ち込んで来た映画スター。瞬間、自らの刀で打ち返して、スターの刀は客席へ飛んで行きました。当時の新喜劇は関西ローカル。ゆえに「あれは誰だ?」となって「博多淡海さんの息子で物心がついた時から刀を握っています」と聞いた件の映画スターは、流石に一目を置いたとのこと。とにかく格好いいんです。最後にお会いしたのは、ご病気をされてリハビリ中のH15年6月14日。毎日放送ラジオ「さてはトコトン菊水丸」のスタジオでした。とても優しかった木村進兄さんのご冥福を心よりお祈り致します。