10月20日土曜日~その2



(写真)17日付、スポーツニッポン連載「菊水丸店主 珍宝堂」


※提出原稿
私が相撲少年だった頃の花形力士は、輪島、北の湖、貴ノ花、魁傑。サインを貰った懐かしい思い出が御座います。輪島関には、少年ファンが群がっても「後で」と断られることが多く、女子大生を見つけて「お姉さん、代わりに貰って下さい」とお願いするのがイチバン。すると、ニッコリ笑ってサラサラサラ。怖くて誰も近付かないのが北の湖関。恐る恐るに「サインお願いします」と言うと、意外にも「何処から来たの?」と話かけて下さり、サラサラサラ。貴ノ花関は、周囲に人が居ると、我も我もとなるので、阿倍野区晴明通の宿舎へ本場所の取組を終えて戻って来た時がチャンス。車から降りて玄関へと入る僅か1メートルのところで「大関!!」と声を掛けるや、一人だけなら立ち止まってサラサラサラ。魁傑関は、いつでも何処でもサラサラサラ。
先日、輪島さんの訃報に触れ、これで私の少年時代の花形は4人とも鬼籍に入られたことになります。中学3年生の時に本場所パンフレットに書いて貰った輪島と北の湖のサイン(写真①)を眺めて、淋しい気持ちになりました。
稽古を終えて、天王寺区の源聖寺坂に程近い銭湯で汗を流して出て来た輪島関を、中学2年生の私が撮った一枚は、くわえ煙草姿。まさに昭和(写真②)。
縁あって、横綱時代の明荷が我が家にあります。これは、土俵入り用の横綱を入れる綱箱。寸法が縦に一寸高い希少品。付け人を務めた元幕内の花ノ国さんに頂いたものです(写真③)。
最後に知られざるエピソードをひとつ。貴乃花さんが『わんぱく相撲』で優勝して、横綱土俵入りを披露した時の手解きは、あの輪島さんだったとご本人から伺いました。そう言えば、平成の大横綱の土俵入りは、何となく輪島さんに似てましたなぁ…。