6月3日日曜日~その3



館長を務める本町のファミリーロード商店街 河内音頭記念館に入りて、3階 楽屋へ控える。ポカリスエットを一気飲み。浴衣に着替えて、19時に2階 会議室へ下りる。「第62回河内音頭セミナー~著作権裁判で争ったレコード盤を改めて聴く」を100分間つとめる。



(写真提供 河内音頭記念館・撮影 石田裕二さん)S62年、テイチクからレコーディングの依頼を受けて、伝承交野節、初代初音家太三郎節、初代京山幸枝若節をヒントに私なりのアレンジで創作した新聞詠み河内音頭「明石家さんま物語」を収録。正式契約の際、作詞・作曲者の欄に河内家菊水丸と明記する様に求めるも、テイチクは河内音頭をアレンジした「鉄砲節」の鉄砲光三郎氏の作品以外は、パブリックドメインの民謡として日本音楽著作権協会に登録する事が慣例となっていると主張。今なら、机を叩いて席を立つところですが、兎にも角にも発表する事を最優先に考えて、作曲者が空欄の民謡として承諾しました。
それから16年を経て、テイチクのコンピレーションCDアルバム『コミック・ソング グレイテスト ヒッツ』に「明石家さんま物語」が収録されていた事を知りました。二次使用は契約段階で許諾済みですから問題はありません。しかし、自分の作品が再販されたのなら、人情としてサンプル盤の一枚くらいは送ってくれても良いのではないか?と思ったのです。当時は、10年間のラジオパーソナリティー時代ゆえ、番組でも紹介する事も可能なのに…と生放送で呟きました。同調してくれたスタッフがパソコンで何気にJASRACのホームページより登録楽曲一覧にアクセスしますと「明石家さんま物語」が出てきたのです。データベース化されるまでは、わざわざ東京まで出掛けて閲覧申請の後、分厚いリストのページを一枚ずつ捲る気の遠くなる作業が必要だったのが、コンピューターの発展により誰でも瞬時に登録楽曲を閲覧する事が可能となりました。そうすると、私の「明石家さんま物語」の作曲者は民謡扱いで空欄の筈なのに、何と鉄砲小弥太なる鉄
砲光三郎氏のペンネームが載っていたのです。私の作曲を認めず、民謡でと説得したテイチクが、裏では著作権協会への届け出の書類に、信じたくは無いけれども鉄砲にするとの密約があったのでしょう。パソコンが普及しなければバレずに済んだ悪事が露呈。こそこそと人の作品を乗っとるとは言語道断。印税が欲しいのなら素直に言えば良い。与えてやるわ…との怒りから著作権の確認を求めて大阪地方裁判所へ提訴に踏み切ったのです。公判中、法廷で私と被告側との節まわしの違いを歌って裁判長に訴えた際には傍聴券が配布されると云う話題の裁判となりました。今回、其の経緯と問題となった楽曲と鉄砲の楽曲とをセミナーで改めて聴き比べると云う企画を行った次第です。