1月30日土曜日~その96



(写真)H27年12月9日付、スポーツニッポン連載「菊水丸店主 珍宝堂」


※元原稿が残っていましたのでアップします。

第55代横綱で日本相撲協会の北の湖理事長が大相撲九州場所中に急逝。このニュースを耳にした時に、13日目と云うのに何か引っ掛かりを感じたのです。考えて見たけれども解らない。相撲評論家からも聞こえてこない。千秋楽を終え、葬儀が執り行われた頃にふと思い出したのです。
昭和48(1973)年の九州場所12日目、優勝争いのトップを走る横綱輪島は人差し指と中指の指間部を裂傷し六針も縫う負傷のため休場。関脇だった北の湖も富士桜戦で左足親指を捻挫。部屋の師匠から「休め!」と言われたが、一横綱三大関を倒しての9勝は、あと一番勝てば二桁となり三賞が確実。13日目は足を引きづりながらの強行出場。しかし、相撲にならずに連敗。千秋楽の大関戦に何とか勝利して10勝5敗の殊勲賞。翌初場所で初優勝。これで大関昇進。春が10勝、夏に優勝。13勝の名古屋場所後に大鵬の持つ21歳3ヵ月を抜いて21歳2ヵ月で横綱に推挙されました。
後年、NHKの番組『昭和の名力士』のインタビューで「あの13日目で休場していたら、大関昇進も遅れることになり、最年少横綱の記録も達成出来かった。やはり、あきらめてはいけない」と語っておられました。
きっと理事長は、相撲人生のターニングポイントとなった九州場所の12日目を終えた時点でホッとなさって、13日目から42年振りの休場に踏み切られたのでしょう。合掌。