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10月1日火曜日~その2



12時前、仲多度郡多度津町のJR駅前へ車を停める。20年振りに訪れてみると、道路が綺麗に整備されていて、当時の面影は無し。



(写真)真夏日の下、微かな記憶を頼りに町民会館まで歩く。バブルの産物と云える巨大な建物が見えた瞬間に「ああ…此処や…」と声が漏れました。『カーキン音頭』のヒットから数年間は、シーズンオフでも各地各所を公演で飛び回っており、H5年10月17日、此の多度津で忘れられぬ事件に遭遇したのです。それは、昼夜二回興行の合間にレストランすずらんへ出掛けて昼食。私が出番のトリで、前の方に出ていた先輩河内音頭取りのT・Sが因縁を付けてきて、いきなりビール瓶で頭を割られたのです。店の床は血で染まり、T・Sは逮捕連行。私は丸亀市内の浅田病院へ救急車で運ばれました。事件の詳細についてはインターネットの普及前なので、新聞の縮刷版を図書館で調べる方法しか有りませんが、当時の週刊誌やワイドショーでも大きく報じられました。以降、近隣では幾度も仕事をしていますが、多度津へ足を運ぶのは事件以来初めの事です。歩き廻った末、アーケードが取り払われた商店街にすずらんを発見。レストランがお惣菜
屋に変わっていました。暫く佇んでいると、20年前の記憶が又蘇ります。事件後、1週間が経ってもT・Sからは一言の謝罪も無く、同じ世界の先輩と云う関係を考慮して、あえて控えていた被害届を提出する決心を固めて多度津警察署へと赴きました。其の折の現場検証では、血まみれになったレストランすずらんを再訪した様に思います。起訴後、「ビール瓶の底の角で力一杯に殴打されて、良く生きていましたねぇ」と担当検事さんが仰った言葉が蘇えります。T・S側は裁判所から、私と和解が成立していなければ前科が付くと言われたようで、慌てて様々な人達を間に入れ、取り下げて欲しいと言って来ました。「1週間の猶予を与えたのに、謝罪も無き者に寛大な気持ちには成れない」と断れば、国会議員までが登場。所属する吉本興業の中邨社長と強引に面会。説得を試みたものの、「芸人として殴り返さずにじっと耐えた彼に、いくら社長の私でも、取り下げてやりなさい…とは言えません」と、一蹴されたと聞きました。それから時が流れ
て、私の生まれ在所で開催する『八尾河内音頭まつり』に話が移ります。山脇市長と西辻市長の時代に、件のまつりの盆踊り大会へのプロデュース出演をしていました。しかし、S市長に交代するや、よりによってT・Sのゲスト出演を決めたのです。「加害者のT・Sと被害者の私が楽しく共演する事は出来ません」と、八尾河内音頭まつりへの出演を辞退。以降、何度かのオファーは全て断っています。「なぜ、八尾河内音頭まつりに出ないのですか?」との質問を受けますが、黙して語らなかった真相はこれです。現在の田中市長とは、公私共に長いお付き合いなので『八尾河内音頭まつり』以外の事柄には喜んでご協力をさせて頂いている次第です。



駅前に戻り、ホテルトヨタ 1階の喫茶室でソーダ水を飲みながら、20年の歳月に思いを馳せる。