「こいつは本当に俺なのか…!!?」、自己同一性への懐疑!! | きくりんオフィシャルブログ「きくりんの日々」Powered by Ameba

「こいつは本当に俺なのか…!!?」、自己同一性への懐疑!!

長年かけて船の部品をどんどん交換していって、すべての部品を交換してしまったら、それは「元の船と何か同じと言えるのか!?」という、哲学的な問いが古来よりあるそうです!

例えば、ロックバンドが長年活動を続けるうちに、音楽の方向性も変わり、主要メンバーも入れ替わってしまった時に、それは「同じバンドと言えるのか!?」…なんてのも難しいところですね。

そして、そのバンドに熱烈なファンが二人いたとして、「変化について行けずに途中でファンをやめたAさん」と「変わってもファンであり続けたBさん」の、どちらが本当のファンなのか? …というのも、なかなか難しい判断です。

だから、アイドル時代の天地真理ファンが、バラエティに出てゲテモノ扱いされてた天地真里を「許せない! あれは天地真理じゃない!」と拒絶したとしても、

「本当の天地真里ファンなら、あの天地真里も受け入れるべきだ!」…とは、僕は言えません。


…まぁ、このように対象に明らかな変化があったならば、その対象に対する思いも変わって当然でして、そこにはたぶんあまり問題はありません!

ただ、問題なのは・・・

「対象は変わっていないのに、自分の思いだけが変わる場合」です!! …これは恐ろしいです! 由々しき事態です!!

というのも、十数年前に書いた自分の日記(非公開)を、今読み返してみると…

『これ本当に自分が書いたのか!?』

…のオンパレードなんですよ! (もちろん、変わってない部分もいっぱいありますけど。)

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「俺は一生、○○のことをこう思い続けるだろう!」とか、「自分は将来△△みたいになりたい!!」とか書いてありますが…

今となっては、そんな思いは1ミクロンもなかったりしています!! ええ、ビックリするくらいにスッキリなくなっていますよ!!

しかも、その主たる要因は、○○や△△などの「対象の変化」ではなく、「自分側の思いの変化」なんですよ! これは大変恐ろしいことですよ!

だって、それはつまり、『今の自分の思いもまったくアテにならない』ということですから…。


だから、10年前の自分は今の自分に対して、今の自分は10年後の自分に対して、「本当に責任とれるのか!?」…と思ってしまうのです。

そもそも、「10年前の自分」と「今の自分」と「10年後の自分」は、本当に「同じ自分」なんですかねぇ…?

「人は変わって当たり前」、そうは思いながらも、今の自分をある程度信じていかないと、何も決めることはできないわけでして、神様ってのは人間にずいぶんムチャなことをさせやがります。

・・・そして、僕は10年後にこの日記を読んできっとこう思うんでしょうね。『これ本当に自分が書いたのか!?』…と。



(書き込みありがとうございます!
すがわらさんへ、細いと思われていなかったことが逆に意外です! でも水の飲みすぎでそれなりにブヨブヨです。 虫ちゃん さんへ、ヲタ芸を「打つ」…大変いい表現だと僕は思いますが、誰が最初にそういうの決めるんでしょうねぇ。肩バラはバラ売りできないんでセットで引き取って下さい。 ねこ婦人さんへ、言われてみればみんなスカートっぽいですね。万が一の場合に、「下の方がシャレにならない」からじゃないですかねぇ…。因みに、言われるまで気づかなかったということは僕は「上」を重視していたということでしょう!)