“次男三代記”新潟紀行②☆神社紀行外伝 《二代:旧大河津村竹森~石動神社》 | 神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

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こんにちは、紀行作家の保志喜久鈴(ほしきくれい)です。居住地の京都を中心に日本全国の神社や神様を勉強しながら参拝記録を
書き綴っています。

※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ


普段の神社紀行とは
ずいぶん趣が異なります。

神社の話も出てきますが
予め申し上げておきます。

 


 

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前回の“次男三代記”新潟紀行






“次男三代記”新潟紀行②☆神社紀行外伝
《二代:旧大河津村竹森~石動神社》



令和元年9月2日(火)11時前。

寺泊総鎮守・白山媛神社の後
現在の海岸線を歩くうちに
小雨が降ってきます。

加賀の総本宮ほどではないけれど
ククリヒメ様は何時だって私に
雨を浴びせたいようです。


(丘の向うが目指す集落)

バスでは本降りでしたが
12時前に寺泊駅に戻ると
丁度止んでくれました。

役所のN氏が“本村”と呼んだ
竹森集落に向かいます。
1㌔も離れていません。



平野部に取り残された
独立丘を背にした集落に入ると
新建材の家が立ち並んでいます。

しかし標札は別姓ばかり。

丘が途切れると
古い民家が現われ

車道から奥まった位置に
母屋が建っています。

玄関先の標札は
遠くて見えませんが
これが“星さん”でしょう。

 



集落の一画に鳥居が立っていて
丘の中腹へ石段が伸びています。
石柱には“石動神社”とあります。

ああ、ここだと直感します。

祖父が生まれ育ち
実父が疎開した所。

或いは身中に居る祖父が
囁いてくれたのかも知れません。


参道脇の狛犬の台座には
奉納者の名が彫り込まれ
すべて“星さん”です。

狭い石段を中腹まで登り
簡素ながら一間社流造の
御社殿で手を合わせると、

涼やかな風とともに
再び雨が落ちてきます。



祖父の葬儀は
浄土真宗でしたから

集落内の浄土真宗寺院
佛心寺も立ち寄ります。

しかし標柱が無ければ
普通の民家にしか見えません。

境内よりも庭先という感じで
中に入る勇気は沸いてきません。




お忍びなので
“本家”を探し当てる事なく
このまま集落を立ち去ります。

けれども、

祖父がここに留まることを
望んでいる気がしたので、

我が龍に祖父の霊を乗せて貰い
石動神社の丘に両手を翳します。

勢いよく右掌から飛び出し
左掌に帰って来たのは
我が龍一匹だけでした。




***************

昭和ひとケタ世代の実父は
戦禍が激しくなると祖父の
故郷寺泊へ疎開します。

半年と少し後、
旧制中学入学に備えて大阪に
帰った所を大空襲が襲います。

しかし
実父は持ち前の才覚を発揮して
戦後にかけての苦境を乗り切り、

職場でも難題を切り抜けて出世。
祖父の経済的面倒も見続けました。

祖父に馬鹿とか死になはれとか
直接口にしたとも聞きます。

言葉と裏腹に窺い知れない想いが
そこにはあったんだと推察します。

今でも父なりに底深い悲しみを
封印しているのかもしれません。

そして祖父が亡くなって27年、
今度は自身の息子が援助を
要する事態を迎えました。

恐らく、死になはれと迄は
口にしないとは思いますが。

***************



この集落に疎開している間
実父が通った小学校に向かいます。

当時から続く大河津小学校の事も
やはりNさんが教えてくれました。

低い丘を越えた国道側にあり
竹森集落から南西へ約2㌔。
雨も再び止んでいます。



JRをくぐり駅の裏手からの
道は微妙に曲がりくねります。
古くからの旧道なのでしょう。

低い丘の鞍部には
工場が集まっていて
“星建設”の看板も。

見慣れぬ三文字に

何だか気恥ずかしくなります。


20分歩いて正門前に到着。
現校舎は坂上の一段
高い処にありますが、


N氏によれば旧校舎は
正門左手の現グランド脇に
建っていたそうです。

さすがに当時を偲ばせる物は
残っていない様ですけれど、

場所を確認出来れば
それで十分なのです。




13時過ぎの電車に間に合う様
通学路を急ぎ足で戻りつつ想います。

大人の速足で20分の距離を
12歳の父も歩いて通ったワケで、

雪国ですから冬場は
もっと大変だったハズ。
小一時間は掛かったでしょう。

その年頃にして焼け出され
終戦直後の最も困難な時期に
祖父を助け一家を支えたのです。

その経験は、

“哀しみ”を心の奥底へと押し遣り
“強さ”“厳しさ”の根源となって、

その分“才覚”はより一層
磨かれたに違いありません。

“ウツ”に罹る余地など
無かったでしょう。

なぜワシの血が伝わらぬ?
忸怩たる思いでいるやも?


三たび寺泊駅。

74年前の夏に降り立ち
翌春大阪へ向かった父。

50歳を過ぎて尚
踊り場で燻る私。

同じ駅に佇む
巡り合わせの妙。

(つづく)

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※ご参考
石動神社(八百万の神HPより)
https://yaokami.jp/1151196/


“次男三代記”新潟紀行①《初代:故郷寺泊~白山媛神社》
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12578653435.html

旅の終わりはククリヒメから贈り物?☆白山比め神社
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12413546650.html