“次男三代記”新潟紀行①☆神社紀行外伝 《初代:故郷寺泊~白山媛神社》 | 神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

神様が呼ぶ方へ☆きくれいの神社紀行

こんにちは、紀行作家の保志喜久鈴(ほしきくれい)です。居住地の京都を中心に日本全国の神社や神様を勉強しながら参拝記録を
書き綴っています。

※保志☆喜久霊の神社紀行ブログ


普段の神社紀行とは
ずいぶん趣が異なります。

神社の話も出てきますが
予め申し上げておきます。


 

初めての方へ
プロフィールは
こちら

 

もし楽しんで頂けましたら
ぜひフォローして下さいね!



(寺泊“砂丘”と弥彦山)


“次男三代記”新潟紀行①☆神社紀行外伝
《初代:故郷寺泊~白山媛神社》



実に融通の利かない
生き方だったと思います。

軽めの精神疾患を抱えつつ
懸命に働いてきた挙句の果て
病状を悪化させ退職の憂き目に。

妻子に心配は掛けまいと
人脈を求めて会合に出掛けたり
研修を受けたりして次を探る内に、

却って相方の
生活不安を煽る結果に。

で、
離ればなれ、
独り暮らし。

実家の老父も病状に理解を
示してはくれませんでした。

20年前のウツ病発症時は珍しく
労りの言葉を呉れたものですが。



何でこう成るのか?

ふと祖父の故郷・新潟寺泊
訪ねてみようと思い立ちます。
実父が疎開した地でもあります。

別に明確な答えなど
掴めなくてもいい。

ただ直感に従い微かにでも
何程かを感じ取れれば、と。


亡き祖父も一目故郷を
見たいのではと思い至り、

我が身中に棲む龍に頼んで
大阪の墓所から祖父の霊を
お連れしてもらいます。

彼の仕事は早くその日の内に
お迎えに行ってくれたので、

出発までの数日間は
三人暮らしになりました。



***************

私の祖父は明治生まれ。

次男だったからでしょう
故郷の寺泊を離れて
東京で修行を積み、

大阪で仕出し屋を始めました。
花街がお得意さんでした。

ところが
戦争で商売が駄目になり
砲兵工廠に出仕します。

戦後、既に独立していた長男の
代わりに次男の父に頼りきりに。

不器用な方だったのでしょう。


***************

(初日の所用)

令和元年9月2日(月)。

前日に新潟空港に着陸した私は
所用を済ませて市内に一泊し、

朝早いローカル線に乗り込んで
8時前に曇天の寺泊駅に着きます。

あれ以来実父とは疎遠なので
“寺泊”という以外に
手掛かりはありません。


星姓は新潟や東北地方南部に
多い姓だと聞きます。

とはいえ珍しい姓ですから
恐らく何か所かの集落に固まり
暮らしていたと推測するのです。

まず役所に向かう事にします。




バスで15分、港への峠に程近い
長岡市寺泊支所で来意を告げると、

商工観光担当係長のNさんが
応対してくださいます。
住宅地図を繰りながら

竹森集落でしょうね。
 他は一軒一軒点在
 してる感じですね』

何か所廻ることになるやら
と覚悟していたのですが、

星姓が目立つというだけで
新潟でも少数派なのです。

しかも、
その集落は寺泊駅のすぐ傍で
寺泊町と合併するまでは
大河津村だったとか。



要件より長く観光案内を伺い
役所を出たのは10時前。

寺泊駅行のバスは11時半頃。

Nさんから山程頂いた
パンフレットを手に
寺泊港を目指します。

峠を越えてすぐ北の
寺泊中学校跡から
港が一望できます。

日本海に浮かぶはずの
佐渡島は翳って見えません。

いちばん北側の堤防が異様に
長く沖へと伸びています。
N氏によれば

『以前は国道沿いが海岸線でした。
 魚のアメ横の今の駐車場も
 昔は海だったのです。

 年々砂が堆積して防砂堤も
 今や700㍍の長さに。

 こうして砂の堆積から
 港を護ってきたのですが、

 佐渡行高速船は今年5月に
 とうとう廃止になりました』


寺泊港の北3㌔弱の地に
信濃川の大河津分水
開削されたのは大正11年。

昭和6年から本格的に稼働、
長さ日本一の信濃川が運ぶ
土砂が大量に堆積したのです。

祖父の時代の渚は砂に埋もれ
孫は遠い海岸線を臨むばかり。


旧道を降りていくと
三叉路の一画に日蓮上人像
説法する姿は強面なのですが、

上人はここから佐渡へ
島流しにされたのです。

自説に揺るぎない自信がある分、
敵もまた多くて時の権力者に
疎まれたのだとか。

また、近くの聚感園には
承久の乱で敗れた順徳上皇
行宮御遺跡もあります。

本土と佐渡を最短距離で結ぶ
この港には流罪に遭った貴人の
無念も色濃く残っているのです。




上人像向かいの大鳥居は
寺泊総鎮守の白山媛神社

参道の125段の石段は狭く
総鎮守にしては寂しいのですが、

登り切った御社前は広く
御社殿も堂々としています。

屋根の付いた手水舎で禊ぎして
無事寺泊に来たお礼を告げます。

 



御祭神は
菊理媛(ククリヒメ)命
伊弉冉(イザナミ)尊

加賀の霊峰白山麓の

白山比め神社の御分霊
山伏がこの地に祀ったと
由緒書きにはあります。

(※上記“め”は口偏に羊)

末社には住吉神社もあって
海運と強い繋がりを窺わせます。

境内には収蔵庫があって
江戸~明治期に奉納された
船絵馬52枚が保存されています。

日本海を航行する松前船の
船主等が航海の安全を
祈願してきたワケです。


(N係長に頂いた船絵馬のパンフレット)

霊峰白山は航路の重要な目印。
そして北前船の終着地は大阪。

また、戦前の大阪は
“大大阪”とも云われた位
東京を凌ぐ商工業都市でした。

船絵馬を見たかは不明ながら
隣村に生まれた祖父の心象にも
“大阪”が刻み込まれたのでは?


あながち
見当外れでもなかろうと
感じさせる土地柄なのでした。


(つづく)

 

 

初めての方へ
プロフィールは
こちら

 

もし楽しんで頂けましたら
ぜひフォローして下さいね!


(寺泊港の防砂堤)


※ご参考
寺泊・白山媛神社(にいがた観光ナビ)
https://niigata-kankou.or.jp/spot/5765


旅の最後はククリヒメから贈り物?☆白山比め神社
https://ameblo.jp/kikurei-jinjakikou/entry-12413546650.html