母の新しい入れ歯が出来ました。
歯茎がやせて、母の入れ歯が合わなくなりました。
訪問診療の歯医者さんに、入れ歯を調整してもらっていましたが、調整だけでは限界だったので、型を取って新しい入れ歯を作りました。
今日は出来上がった入れ歯を持ってきてくれました。
「はい!笑ってください」と言われても、
急にはこんな顔しか出来ませんでした。
歯医者さんに記念写真を撮ってもらいました。
中々笑顔ができません。
さっそく、試しに、柿を食べました。
「痛くない。食べやすい」
そうです。
やっと笑顔が出来ました。
これで、前より少しは硬いものが食べられるようになりそうです。
いろんなものが食べられて、栄養が摂れると良いなあ。
食事の支度も少しは楽になりそうです。
1年分の生姜の瓶詰め
生姜のすりおろしを詰めるための瓶を洗った。
今年は約40本できる予定だ。
フタは母が拭いてくれた。
拭き上がって、嬉しそうだ。母は自分にできる仕事があると喜ぶ。
今年も、生姜は竹田市の「わかば公社」さんから購入した。
とても綺麗な生姜だ。専用の洗浄機があるのだろう。
洗うのがとても楽だ。
自分で栽培していた頃は、この洗うのに一苦労した。ご近所から高圧洗浄機を借りて来て、カッパを着て、ずぶ濡れになって汚れを落とした。
洗い上げて、ザルで水を切る。
ほんの少ししか汚れが沈まなかった。本当に有り難い。
ミキサーで粉砕しやすいように、適当な大きさに切る。
約6キロの刻み生姜。
形の良いのは取り分けて、
10%の塩水を作り、
漬物器に並べて注ぐ。
重石をかけて1週間ほど置き、その後、赤梅酢を注ぐと美味しい「紅生姜」になる。
さて、刻んだ生姜を、
ミキサーにかけ、
大量のおろし生姜にする。
瓶詰めは、去年から父の担当だ。
瓶の縁に生姜が垂れないように、慎重に詰める。
父は、1931年、今から94年前に生まれ、岩手県の黒沢尻工業高校を卒業後、釜石製鉄所に入社。
1963年、名古屋製鉄所に転勤。
1971年、大分製鉄所に転勤。
1980年には、中国上海の製鉄所の建設に携わる。
60歳で定年退職するまで、製鉄一筋の道を歩んできた。
おもに、製鉄所の設備関係の仕事をしてきた。
製鉄所で事故があると、真夜中に呼び出され、修理にあたっていた。当時はマイカーを持っている人は少なく、父もタクシーで現場に向かっていたのを子ども心に覚えている。
そういう訳で、エンジニアの父は、生姜の瓶詰めも丁寧にこなす。
38本の生姜が詰め上がった。
最後のラベル貼りは母の仕事だ。
母は若い頃、看護婦だった。
正確に血管に注射針を刺すのが得意で、失敗がないので、母の前には患者が列をなしたそうだ。
今では、
こんなになったり、
こんなになったり、少し正確さに欠けてしまっているが、
売り物ではないので、これでいいのだ。
仕事をもらって、母も嬉しそうだ。
人は、いくつになっても、人に喜ばれる仕事がしたいものなのだ。
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栗むき進化してます。
「そうだ!、栗むきは、OXO(オクソー)のピーラーでやっていたじゃないか!」
と、思い出しました。
そこで、刃も鈍ってきたことだし、新調しようとネットで探したら、
ギザ刃の「ソフトスキンピーラー」というのが、新しく出ていました。
このギザ刃のピーラー、優れもので、リンゴをむくように、皮がクルクルになります。
こんな感じでむけます。
切れ味は良いのですが、ギザ刃なので、指に食い込みます。軍手を忘れずに。
さて、
ギザ刃が大活躍なので、平刃は必要が無くなったのかと申しますと、
ギザ刃では、渋皮が大まかにしか削り取れません。
ですから、
平刃に登場していただいて、
綺麗にむき上げます。
私が栗をむいている間、
母は、
変顔をしたり、
栗の入っていたネットをかぶって、笑わせてくれます。(私が被らせたのですが)
贅沢に栗をたっぷり入れて、栗ご飯を仕込みました。
栗むきが大変なので、例年は、1~2回しか栗ご飯をしないのですが、
今年は、飽きるまで仕込めそうです。
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