父は満州事変の年に生まれた。
今日は私の父の誕生日。
父は、今から93年前、1931年(昭和6年)、岩手県の北上市で生まれた。
その年は、中国東北部、満州に日本が攻め込んだ年だ。歴史的には「満州事変」と呼ばれる武力衝突によって、日本は泥沼の15年戦争に突入していく。
父は、生まれてからずっと、戦争の真っ只中に成長し、戦後の復興を経験し、高度経済成長の時代に私を産み育て、平和な今に、余生を過ごしている。夕食の時は、機械化する前の農村の暮らし、戦時中の話、シベリアに抑留された伯父の話などを根掘り葉掘り聞き出している。今聞いておかなければ、その頃のことを知る者がいなくなってしまう。
「竹槍をもたされて、アメリカ兵に突っ込んでいく訓練を受けた時は、『もう戦争は負けるんだなって思った』」そうだ。「馬鹿馬鹿しくて、やってられなかった」そうだ。
馬鹿馬鹿しくても、それを言えない雰囲気。「世間」と言う無言の圧力の怖さ。それは、今でも、私たちの身の回りにねっとりとへばりついている。私は、どんなことがあっても、非常識な非国民でありたい。
という難しい話はこの辺にして、夕食時、父の誕生日を祝った。
鯛の尾頭付き。
丁度手頃の鯛が手に入ったので、塩を振って焼いた。
大分県鶴見漁港に水揚げされた天然物の鯛。大きさも丁度良い。
これで、税込み385円は破格だった。この手の鯛をスーパーで見かけることは滅多に無いので、
まさに、天の計らいだと思う。
岩手県内陸部の生まれの父は魚を食べるのが滅法上手い。
内陸部では魚が貴重だったので、大事に食べたのだろう。
頭も目玉の裏も綺麗に食べてくれるので、手に入れた甲斐がある。
母は、父に身を取ってもらって食べる。
私は、父が食べたあと、裏返していただいた。
我ながら、塩加減も焼き加減も上手くいった。なにより、鯛が新鮮だった。
食後は、おまちかね、ケーキをいただいた。ローソクをもらってきたはずが、見当たらず、
吹き消しの儀式は無し。
母は時々粗相をして、「死にたい」と落ち込み、私から、
「今死んだら地獄に落ちるから、もう少し生きていた方が良いよ」
と励まされ、「それもそうだね」と笑う。
父は、先日めまいを起こして、倒れそうになったので、私から、毎食、梅干を食べるように命じられた。
薄氷を踏むような毎日だが、93歳と91歳の両親が、私の作る拙い料理を「美味しい美味しい」と食べてくれ、
ボケもせず元気でいることに心から感謝。
これ以上、何も望むものはない。
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