私は昔っから、すぐ人に弱みを見せる人間だった。
自分がどんなに辛くて悲しい思いをしているか、話を聞いてくれそうな人を見つけては、誰彼かまわず話した。
自分が辛い思いをしているのに、それを抱え込んで平気な顔をしているなんて「損」だと思ったから。
辛い思いをしただけ、誰かに同情されて、助けを得るべきだと思っていた。
そんな自分をすごくわがままで弱い人間だと思っていた。
そんな自分が大嫌いだった。
辛いことがあっても、他人の前ではいつも笑顔の人を見ると、すごく羨ましかったし、尊敬すると同時に憎らしく思っていた。
どっちかというと、日本人には「弱みを見せない」人の方が多い気がする。
子供じゃあるまいし、それが当然のマナーってことになっているんだろう。
けど、本当にそれでいいのかな?
もしかして、人に弱みを見せることも強さなのかもしれないと思い始めてきた。
私の誰彼かまわずすがりつく生き方は、すっげえ恥ずかしいし、迷惑な生き方だろうけど、
少なくとも、「私は溺れていますよ」「助けて欲しいですよ」って意思表示はできている。
救助できる力を持った人と出会う確率が増えるということ。
実際、ブログで「きついきつい」と連呼する私をいろんな人が支えてくれたし、今も支えてくれている。
おかげで今は人に助けを求めなくても、大体自分で解決できるようになってきた。
けど、自分でもいっぱいいっぱいな問題が持ち上がったときは、私はすぐさまその時もっとも助けを求めるのにふさわしいと思った人に相談するだろう。
それを恥ずかしいとは、まったく思わない。
占いやカウンセリングの依存症になる人がいるが、もっと深刻なのは、占いにも行けない人なんだそうな。(誰が言ったのか覚えてない)
憎しみとか怒りとかを覆い隠して笑顔でいても、それがなくなるわけじゃない。
心と体に蓄積されて、病気などを引き起こす。
だからみんな、無理に頑張らず、素直に痛いときは痛いと声をあげよう!
……とは言わない。
できないものはできないんだよね。
人に助けを求めて、拒絶されたらこんな辛いことはないもんね。
私は最初っから弱みを見せる人間だったから、無理に笑顔でいる人に何が必要なのかよくわからない。
私にできることは、私が自分の気持ちに嘘をつかないこと。
嫌なことは嫌。辛いときは辛いと言えるようになること。
それが、みんなが素直に泣ける世界を作ることになるんだと思ってる。
≪追記≫
これ書いたあと、なんつー上から目線な書き方なんだろうと、一人落ち込んだ。
けどこうしか書きようないし。
上から目線は、私の仕様。
だってさ、自分にとって大事な人が、本当は辛い思いを抱えているのに、私を心配させたくなくて、無理に明るく振舞って、それで病気にでもなられたら。
こんなつらいことないもん。
誰にでも弱みを見せる必要はないんだよ、あなたにはここまで見せる、あなたとはここまでしかしない、って線引きは必要。
かつての私みたいに手当り次第助けを求めても、お互い傷つくだけ。
けど、家族とか友人とか、愛している人の前では、泣き顔でもいいんじゃないかな。
やっぱり私、そう思う。