怨霊から神様に 英泉の天神図 浮世絵
英泉の浮世絵で天神図になります。掛物絵と呼ばれるもので、大判錦絵を縦に二枚つなげた浮世絵で、簡易的な表装をされ掛け軸として飾る目的で考案された物です。それまでの江戸時代の掛け軸というと、絵師に依頼して描いてもらう高価な肉筆画でしたので、一般の庶民には手の出ない物でした。天神様といえば平安時代の貴族の菅原道真((すがわら の みちざね)のことです。幼少より詩歌に才を見せ学問にも秀でていて忠臣としても名高く、右大臣にまで上り詰めましたが、藤原時平の陰謀によって大臣の地位を追われ、大宰府(九州の筑前国)へ左遷され失意のうちに没してしまいました。道真の死後、都では疫病がはやり、日照りが続き、また天皇の皇子が相次いで病死してしまいました。さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た為に、人々は道真の祟りだと恐れました。清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられ、祟りを鎮めようと北野天満宮や太宰府天満宮の前身の安楽寺廟、大阪天満宮などが建立されましたが、その後も恐ろしい怨霊として恐れられたと言う事です。時代が変わり鎌倉時代には、怨霊として恐れられることは少なくなり、慈悲の神、正直の神、冤罪を晴らす神、和歌・連歌など芸能の神、などとして信仰されるようになります。江戸時代以降は、道真が生前優れた学者・歌人であったことから、学問の神として寺子屋などで盛んに信仰されるようになりました。江戸時代には学問の神様として信仰されていたと言う事は、親が我が子の出世を願う為に掛け軸として飾っていたのでしょうか。実はこの作品の他にも柱絵として掛け軸になっている、江戸時代のウブの作品を何点か持っているのですが、数が結構残っていると言う事は、普通に多くの家庭で飾られていた事を物語っているのかも知れません。浮世絵の上部に天神経なるものが書かれています。これは現在ではあまり見る事はありませんが、江戸時代の寺子屋などでは毎日の様に子供たちによって唱えられていたと言う事です。天神経は日本で作られた経典で、中身は仏教の言葉を並べているものの、全体に何を言いたいのか意味不明な内容だそうです。意味が分からなくても唱えることで、天神様の功徳があると信じられていたのでしょう。天神経の下には松の木と梅の木が描かれています。菅原道真といえば梅ですが、これは「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花 主なしとて 春を忘るな」という有名な歌があることや、飛梅伝説が有るからでしょう。伝説によると、遠く大宰府へ左遷されることとなった道真は、日頃から愛でてきた庭木の梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しみました。桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからは、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまいました。しかし梅と松は、道真の後を追いたい想いの一念で、空を飛んだということです。ところが松は途中で力尽きて、摂津国(兵庫県)の丘に降り立ち根を下ろしました。ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに道真の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったということです。実際に太宰府天満宮の神木で、樹齢1000年を超えるとされる白梅がそれです。さだまさしさんの歌にも「飛梅」という名曲がありましたね。大蘇芳年 皇国二十四功 贈正一位菅原道真公 (国立国会図書館蔵)左遷された道真が天に無実を訴えている姿だと思われます。風の中で髪が逆立って怒りと深い悲しみをたたえています。闇夜を走る稲妻、轟く雷鳴に吹き荒れる風、やがて怨霊になることを暗示しているかのような作品です。豊国,国久 江戸名所百人美女 第六天神 (国立国会図書館蔵)この作品は道真には関係ないのですが、コマ絵の中に第六天神と書かれていたので気になりました。第六天神社(だいろくてんじんしゃ)は、関東地方を中心としてその周辺に存在する神社で、元々は神仏習合の時代に第六天魔王を祀る神社として創建されたそうです。魔王を祀るというのも良く分かりませんが、道真の時と同じ様に災いを避ける目的なのでしょうか。そういえば信長も自ら「第六天魔王」と名乗っていましたよね。豊国,国久 江戸名所百人美女 第六天神 (国立国会図書館蔵)実はこの浮世絵で本当に気になったのは、腕に着けているバンドのような物。なんじゃこりゃ?調べてみると「腕守り」という物らしい。神社などのお札が細長い布に縫い付けられたお守りで、現代でも姫路市などでは奧さんや彼女が、夫や彼氏の無事を祈って贈る風習があるそうです。浮世絵では恋人がいることを暗示するアイテムとして使われるそうです。最後は天神様から、外れてしまいましたが、あしからず。