江戸の職人姿 - 菱川師宣 その弐
昨日に続きまして菱川師宣が1685年に出版した、和国諸職絵尽の中から当時の職人の生態を少しですが見てみようと思います。一枚絵の錦絵には働く人々を主にした作品は、さすがに少ないと言えます。それは役者絵や美人画のように売れる見込みがないからですが、全くないわけでもありません。北斎の富嶽三十六景の中の,尾州不二見原では大樽の中で木を削る職人の姿が描かれていますし、遠江山中では木挽き職人 たちが材木を切る姿が描かれています。風景画の中に上手く職人達を取り入れて、日常の富士山を北斎は捉えていました。この和国諸職絵尽は室町中期に土佐光信の描いた「七十一番歌合」を当世風に描きなおした絵本で八十五職種の江戸時代の職人達が描かれています。浮世絵は美術品としてだけでなく、現代において江戸時代を知るうえで貴重な情報源として重宝されています。「さかつくり」 酒造酒造直営の造り酒屋というところでしょうか。日本酒が白濁したどぶろくから今の様な清酒になったのは、江戸時代になってからだそうです。時代劇で信長や秀吉が、透明な酒を飲んでいたら嘘という事になりますね。「くしひき」 櫛挽のこぎりで櫛を作ること、櫛を作る職人。「すまふとり」 相撲取江戸時代の人は今の人に比べると背が低かったと言われますが、男性で平均身長が約155㎝ぐらいだったと言われています。これは江戸時代の米食中心の食生活のせいで、戦国時代は獣肉も食べていたので大柄の武将も多かったと言います。当時の力士は大きい体格というだけでも特別な存在でした。有名な雷電為衛門などは身長は2m近くありましたし、相撲の強さも抜群でしたが、生月鯨太左衛門や大空武左衛門などの2m越えの力士たちは、実力よりも大きいという理由だけでなれた看板大関でした。「たちきミ」 立君路上で客を誘う下級街娼。大阪では惣嫁(そうか)と呼ばれた。夕刻以後に小路に出て、下層労働者らを相手にしていた。揚代は時代により違うが、10~100文ほどだった。「つし君」 辻君町の路地に店をもうけて売色した下級の娼婦。幕府公認の遊廓は、江戸の吉原、大坂の新町、京都の島原しかなく、そこで働く女は遊女と呼ばれ、下級の娼婦たちは売女(ばいた)と蔑まれていました。「とうふうり」 豆腐売江戸の食事といえば、漬物をおかずに米を大量に食べるというような栄養が極度に偏った食生活でした。魚なども貴重で週に一度ぐらいしか口に出来なかったそうです。豆腐は当時は50文(1000円)もして高価でしたが、貴重なタンパク源として人気がありました。「つるうり」 弦売僧形の覆面して笠を被って「弦や召されん」という売声をあげて弓弦(ゆんづる)の製造・行商で生計をたてていたのは、犬神人(いぬじにん)と言う下級神官。「なべうり」 鍋売カゴを前後に取り付けた天秤棒を振り担いで鍋を売り歩く商人ですが、この様な。移動式の商法を振売(ふりうり)と呼んだ。1743年の江戸は人別改によれば100万人を超える世界最大級の人口の都市でした。江戸の人々に食料やサービスを供給していたのが、振売と呼ばれる業種の人々でした。振売には食品を扱う、野菜、油揚げ、鮮魚・干し魚、豆腐、醤油、七味唐辛子、甘酒、ところてん、汁粉、白玉団子、納豆、海苔、ゆで卵などがあり、食料以外にも、ほうき、花、風鈴、もぐさ、暦、筆墨、樽、桶、焚付け用の木くず、草履、蓑笠、植木、金魚、鈴虫・松虫などがありました。修理のようなサービスを売り歩くものもあり、錠前直し、メガネ直し、割れ鍋直し、あんま、下駄の歯の修繕、鏡磨き、割れた陶器の修繕、たがの緩んだ樽の修繕、ねずみ取り、そろばんの修理、こたつやぐらの修繕、羽織の組紐の修繕、行灯と提灯の修繕、看板の文字書きなどがありました。